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婦人会の定義・活動内容・挨拶の例・役割・解散する原因

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婦人会とは・定義

婦人会とは何を目的とした会か、そして現在、婦人会が抱える問題点について紹介します。

婦人会の概要

婦人会とは、成人女性の親睦・娯楽・ボランティア・教養などの目的で結成された団体のことです。

婦人会という名称を持つ組織としては、1876年に結成された東京大谷婦人会は最初とされています。その後、明治の前半に仏教系の婦人会が結成され、1985年ごろから、現在のような目的の婦人会が作られ始めました。1993年には、キリスト系の婦人団体の婦人矯風会が誕生しています。政治、宗教、社会活動のために組織された団体も含まれる場合があります。

婦人会の問題点

もともとは、地位の低かった女性の地位向上が目的の組織でしたが、近年、婦人会は衰退傾向にあります。女性の社会参加や、核家族化・少子高齢化により、地域とのコミュニケーションをとる場もなくなり、必要性を感じる人も減少傾向にあります。婦人会の会員数も減少し、形だけ入会しても、活動への参加率は低くなってきています。

活動目的が不明確で、役員に偏った婦人会も多く、行政への給付金などの依存なども指摘されています。

婦人会の活動内容

婦人会の活動内容を紹介します。都心部と地方では少し違いが生じてるので、分けて記載しました。また、婦人会保稚園の歴史も紹介します。

地域活動

地方と都心部の婦人会の活動の傾向について紹介します。

地方の婦人会

都心部と地方ではかなり違いがあります。婦人会が盛んな農村部や地方では、新年会をはじめ年間8回ぐらいの行事があり、夜に会合が行われるところもあるそうです。

お祭りの準備や片付けをする男性のために、宴会や食事の用意やお茶くみをしたりすることもあります。仕事をしている主婦には心身ともに辛い練習をし、夏祭りの盆踊りの時に浴衣を着て踊りを披露す津ことが決まりとなっているところもあります。その他、日帰り旅行、農協の運動会、町おこしのイベント、集会所の掃除、敬老会の手伝いなど多岐に渡ります。

世襲性な性質が強いので、代々婦人会に入っている家に嫁いだ人は、多少無理をしても義両親や夫の顔を立てるために、半強制的に入会するケースも多いです。また引っ越してきた家族の妻が「入った方がよいと」勧められて入会するケースも多いです。

都心部の婦人会

都心部の婦人会は、祭りなどのイベントは縮小し、練習の必要な盆踊りを廃止したり、町内会や自治体主催のものにシフトしている所も増加傾向にあります。町内会費は数百円取られますが、市報が届くぐらいで、その活動も、ごみの整理、街灯の管理、子どもの通学の見守りなどがありますが、婦人会ほどの時間の拘束はない傾向があります。

解散している婦人会も増えていますが、存続している所は60代の時間があって健康な女性が主体になって、婦人会館などで世間話をしたり趣味のサークル活動や、有志の旅行などを行うにとどまっています。若い世代は、幽霊部員として入会はしているもの活動に参加していないという婦人会が多数存在します。

大都会になると、プライバシーを不安視する人が増え、活動をNPO団体などに一任しているところもあります。

保育園

保育園に名を残している婦人会もあります。例えば、神奈川県横須賀市にある長井婦人会保育園などがあります。長井地域の子女を中心に戦時中に発足した長井婦人会により開園されました。

長井婦人会は、戦中戦後の貧困や混乱の時代に、女性が自立して家庭を支える一端となるため洋裁学校を設立し、卒業生の就業と共に、働いている間に保育が必要な子を預かる目的で保育園を設立しています。

時代の変化と共に発展し、開設当初は55名だった定員数も、現在は150人まで拡大しています。婦人会開設の学童保育クラブもでき、地域の子育て支援活動を行っています。

昭和30年に、婦人会の設立とともに開設された郡山婦人会保育所、会津婦人会保育園等、全国にいくつか婦人会保育園があります。婦人会は運営に直接関係しておらず、そのまま事業を受け継ぎ名前を残したものになります。

婦人会の総会挨拶の例

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「(その日の天候によって)お寒いなか」や「足元の悪い中」などを冒頭に述べ、「大勢の方にお集まりいただき、ありがとうございました」この後ただの飲食会なら「ごゆっくりおくつろぎ頂いて、日ごろの疲れをとってください」などでよいでしょう。

新年総会で会長としてあいさつする場合は、今年はこうしたいという目標をマニュフェストのように2、3、具体的に挙げて、抱負を述べればよいでしょう。

引継ぎの挨拶をする場合は、まず自己紹介を忘れず、これまでの活動内容に簡潔に触れてから、今年の目標や改善案などの話題に入るようにしましょう。

婦人会の役割

婦人会の担ってきた役割を戦時中から現在まで紹介します。

戦時中

婦人会の多くは戦時中に自然発生的に生まれました。中でも、大阪の主婦が40人ほどのの集まりで始めた国防婦人会は、出生兵の見送り、留守家族の支援、傷病兵や遺骨の出迎え、軍事病院での洗濯、防空演習への参加促進など多岐に渡りました。

その活動が陸軍の目にとまり、結成半年後、陸軍援助のもと「大日本国防婦人会」が結成されることになります。モンペ姿にたすき掛けというユニフォームもありました。戦地に赴く兵士にとって着飾らない「母親」を連想させる服装や活動は好まれました。

その対抗勢力として、文部省の管轄下にあった愛国婦人会は中流階級以上の女性がメンバーでした。寄付金を払わなければ婦人会活動はできなかったという点は、現在の形に近いところはありますが、上流階級中心の活動なので会員数は限られていました。統合するまでには軋轢もあったとのことです。

戦後~現在

戦後は、GHQが婦人会の設立を勧め、女性の地位向上のために多くの婦人会が作られました。戦後の混乱期を生きぬくために洋裁学校を設立し、就職のあっせんしと同時に保育所も作られ現在も名を残している保育園があります。

新年会や、餅つき、町内会の運動会、敬老の日のお祝いなどのイベントの手伝いなど、地域の団結や復興に向けた活動が積極的に行われました。葬儀の手伝いなども女性が中心になって行ってきました。地域の清掃や娯楽、勉強会、子育て支援のボランティアなども盛んにおこなわれてきました。

しかし少子高齢化が進み、女性も働くのが珍しいことではなくなった昨今、時代のニーズに合わなくなり、活動の縮小や婦人会そのものを解散する動きが主流です。

地方では古い婦人会のしきたりが残っており、伝統を守りたい年配の人と、子育てや仕事に忙しい若い女性の間に温度差ができています。

婦人会の解散する原因

女性の社会進出や役員となった際の負担などから 会員減少に歯止めがきかなくなったことは要因とされています。若い世代は平日の日中は仕事、夜は夕食作りと忙しく、土日は接客業の人は稼ぎ時ですし、フルタイムで仕事をしている人は週末は子どもと過ごしたいという想いが強く、婦人会の活動が重荷になっている傾向があります。

もともと、女性の地位が低かった時代に女性の一致団結や地位向上を目指して結成された婦人会ですが、婦人会=女性の代表ではなくなり、時代のニーズに合わない状況になったと言えるでしょう。 

結果的に、役員のなり手がおらず、若者だけでなく高齢者も足腰の弱い人、運転ができない人、老々介護の人も増え、集まりが悪く役員決めが難航し、役員不在のまま団体だけが存在する年もある婦人会も増えました。

そういったことが続く婦人会は解散し、町内会や自治体が後を引き継ぐというケースも増加しています。

婦人会に強制されるときの対処法

婦人会も、自治体や町内会も任意団体なので、入会の義務もなく強制力もありません。

ごみの収集をしてもらえなかったり、地震などの災害の時に援助を受けられないと考えている人もいますが、ごみの収集は自治体が請け負っているだけで、個人収集してもらう権利はあります。災害時に等しく行政などの援助を受けることも当たり前の権利なので、心配する必要はありません。

普通に断ればよいのですが、中には歴史のある婦人会が大きなコニュニティーになっており、女性のほとんどが入会しているところもあります。大なり小なり無理をしながらも婦人会に参加している人の反感を買って、必要な情報を得られない、地域のイベントに参加しずらいなどのデメリットがある可能性もあります。

婦人会の活動が盛んなところは子供会も熱心なことが多いです。地域によって地域参加への熱量が違うので、早いうちにライトな町に引っ越すという人もいます。

婦人会に服装

婦人会の上層部は、60代の女性が多いでしょう。お姑さんと会う恰好を考えるのと同じ発想でよいでしょう。

とにかくTPOを大事にしていることが大切です。地域の清掃や運動会などの屋外活動では動きやすいデニムは構いませんが、デニムに作業着のイメージを持っている年配の方も少なくありません。逆に屋外活動にヒールのある靴や、白っぽいワンピーススタイルでいくのもTPOにそぐわないでしょう。

田舎の場合は、「お嫁さん派手ね」などとチェックが入ることがあるので、改まった場所でも清楚な雰囲気のワンピースやひざ丈のスカートスタイルががあります。

改まった席でなければ、パンツスタイルもOKのようですが、ワイドパンツや柄パンなど流行りのものは避け、動きやすく程よい丈のモノトーンを基調としたスタイルがお勧めです。「控えめだけれど感じのよい娘さん」と思われる服装を意識するとよいでしょう。

時代のニーズに合った婦人会へ

婦人会は時代のニーズに合わせ、その形を変えてきました。戦時中は男性不在の国を守る意図が強く、戦後は女性の地位向上や自立を目的に積極的な活動をしてきました。また地域の団結と発展を目指して、さまざまな行事や地域活動を行い、助け合いながら子育てや葬儀の手伝いなども行ってきました。

しかし現在は、少子高齢化と核家族化が進み、子育てしながら働く女性も急増しています。女性の自立や解放が目的であったはずの婦人会活動が負担になっている若い世代の女性も少なくありません。

行事の縮小や、町内会に委託するなどを経て、解散する婦人会も増えています。しかし地域の結びつきが希薄すぎ、独居老人の孤独死や、虐待などのさまざまな弊害も起こっています。

隣が誰かもわからない地域も増えています。婦人会をはじめとする地域活動のメリットとデメリットを世代どうしで共有し合って、新しい形に変化させていくことが求められています。

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