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第一次世界大戦で使用された武器とは?銃器の種類や不採用だったものも解説

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世界大戦と聞くと第二次世界大戦をイメージする人が多く、第一次世界大戦についてはその詳細をあまり理解していないという方も多いのではないでしょうか。

日本領土が直接攻撃されたわけではないので、日本人の被害状況も第二次世界大戦と比較すると確かに少ないです。しかしながら、第一次世界大戦でも約300人の日本人兵士が犠牲になっています。

本記事では、そんな第一次世界大戦が起こった原因と経過、そして当時の武器について解説しています。

学生時代の歴史の授業で習った人も多いでしょうが、当時使用されていた武器や開発されていた武器について知ることで、より具体的に当時の戦況を理解することができます。

「第一次世界大戦はどのような戦争だったの?」「第一次世界大戦ではどんな戦い方をしていたの?」と気になる方は、ぜひ最後まで読んでみてください。

第一次世界大戦が起こった原因

過去の戦争を見てみると、原因として文化の違いや世界経済の悪化といったさまざまな原因が挙げられます。第一次世界大戦における一番大きなきっかけとなったのは、サラエボ事件と呼ばれる出来事です。

19世紀末のヨーロッパでは、多くの国がアジアやアフリカの地に植民地をもっており、領土拡大を進めていくなかで土地の取り合いになることが多く、ヨーロッパの国同士の対立も多発していました。

また、サラエボが位置する当時のバルカン半島では、オスマン帝国が衰退したことで独立を目指した民族同士の対立も発生し、いつ戦争が起こってもおかしくないという状況にありました。

そんな状況下で起こってしまった事件がサラエボ事件です。

1914年、オーストリア皇太子夫妻がサラエボ(現:ボスニアヘルツェコビナ)の地でセルビア人に暗殺されてしまいます。

この事件をきっかけに、オーストリアがセルビアに対して宣戦布告しました。それを受けたロシアは、オーストリアの動きに対抗して総動員令を発令します。

もともとセルビアはロシアの支援を受けて独立した国なので、今回もセルビアを援助するかたちになりました。

このロシアの動きを見ていたドイツが今度はロシアに対して宣戦布告し、さらにはロシアと同盟を組んでいたフランスとも戦闘状態に入ってしまいました。

また、ベルギーは中立の立場をとる国でしたが、ここにドイツが侵攻したことを理由に、イギリスがドイツに対して宣戦布告します。

このように、サラエボ事件を最初のきっかけに、ヨーロッパ各国を巻き込んだ世界大戦へと進んでしまいました。

第一次世界大戦の経過

1914年に始まった第一次世界大戦ですが、その後1918年までの約4年間にわたってヨーロッパの国々で戦争が継続しました。

ドイツ・オーストリア・オスマン帝国を中心とした同盟国側と、イギリス・フランス・ロシアを中心とした連合国(協商国)側それぞれの国が軍事力・技術力を動員した総力戦となります。

当時、イギリスと日英同盟を結んでいた日本は、開戦当初には中立の立場を表明していました。しかしながら、イギリスとの関係性や国益を理由に開戦から約4か月後の1914年にはドイツへ宣戦布告し、連合国側として参戦することになります。

塹壕戦が主な戦い方であったことにより長期化した第一次世界大戦でしたが、1917年にアメリカが連合国側として参戦したことで戦況は大きく変わることになります。

ドイツが行っていた無制限潜水艦作戦という攻撃により撃沈してしまったイギリスの大型客船ルシタニア号のなかに、乗客であったアメリカ人が含まれていたのです。

この事件をきっかけにアメリカがドイツに宣戦布告し、連合国として第一次世界大戦に参戦しました。

その結果、1918年11月に連合国側の勝利というかたちで終焉を迎えることとなりました。

第一世界大戦中に世界で使用された武器とは?

約4年間も続いた第一次世界大戦ですが、機関銃・毒ガス・ 戦車・飛行機など、当時の最新技術を駆使した武器が多く使われました。

戦場で最初に活躍した武器が機関銃です。従来の銃に比べてトリガーを引き続ければ弾丸を継続して発射できる機関銃は、兵士たちの大きな脅威となりました。

その結果、機関銃からの攻撃を恐れた両軍の兵士たちは、銃砲撃から身を守るために陣地の周りに穴を掘って隠れるという塹壕戦を選択することになり、戦争は長期化することとなります。

そして、この塹壕戦をなんとか攻略出来ないものかとイギリスで開発されたのが戦車です。
現代の戦争でも使用されているイメージの強い戦車ですが、最初に登場したのが第一次世界大戦です。

戦車は機関銃からの攻撃に耐えられるだけでなく、塹壕を超えることのできる兵器として第一次世界大戦が終焉を迎える1年前頃に初めて戦場に本格投入されました。

また、敵陣の偵察を目的として導入されていた飛行機に対しても機関銃・爆弾が搭載され、徐々に兵器として使用されるようになっていきます。

さらに、ドイツ軍によって毒ガスが使用されると、それに報復するかたちで協商国側(イギリス軍・フランス軍)も使用し、両陣営が大きな犠牲者を出す結果となりました。

第一次世界大戦中に世界で使用された武器の特徴

第一次世界大戦では、機関銃や重砲のような火力の強い武器が多く使用されていました。

機関銃とは、引き金を引いているあいだ連続して弾薬を発射し続けることができる銃のことであり、重砲とは口径の大きな大砲のようなもののことです。

これらの武器が使用されるようになった背景には、1904年~1905年に開戦された日露戦争による教訓が大きく関係しています。

日露戦争では、日本軍による銃弾や砲弾の破片に対抗するために設置されたロシア軍のマキシム機関銃が、突撃を仕掛ける日本軍兵士に大損害を生じさせました。損害を受けた日本軍側でも、秋山好古という人物が機関銃を使用することで世界屈指の騎馬隊とも言われるロシア側の騎馬隊に勝利し、日露戦争での日本の勝利に大きく貢献したのです。

この秋山好古という人物は、自らが騎馬隊の団長であったにもかかわらず馬に乗ることをやめ、機関銃で騎馬隊を迎え撃つという選択をしたことで、当時世界屈指の騎兵隊と言われていたロシアの騎馬隊を撃破しました。

機関銃の重要性を目の当たりにした世界の国々は、第一次世界大戦でも重機関銃や重砲といった火力の強い武器を大量に投入するようになったのです。

また、第一次世界大戦開戦後も早期に戦争を終わらせるために、多くの武器が開発され戦場に投入されていきました。

第一次世界大戦で使用された銃器

ここまで解説したように、第一次世界大戦では火力の強い機関銃や重砲が使用されていました。各国が対戦国に勝利するために、当時としては最新の武器と戦略を用いて、戦いに挑んでいたことが伺えます。

時代と共に進化していった銃器を使用することで塹壕戦という新たな戦い方が生まれ、戦争が長期化してしまったことは、当時の人々にとっては想定外だった可能性があります。

また、第一次世界大戦では機関銃や重砲だけでなく、ライフル銃や挙銃も活躍しました。

100年以上前に開戦した第一次世界大戦ですが、当時使用されていた銃器の中にはモデルチェンジを繰り返しながら、現在まで使用されている銃器も多数存在しています。

それらの銃は、現代でも繰り広げられている戦争や内紛で使用されているだけでなく、猟銃や競技用の銃として親しまれているのです。

ここでは、第一次世界大戦時に使用されていた銃器の特徴や開発経緯について解説します。

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モシン・ナガン

1891年、帝政ロシアで開発された小銃であり、1950年代まで第一線で使用されていました。

第一次世界大戦でも主力小銃として使われており、現代では猟銃や競技用として使用されています。

モシン・ナガンの開発は、ロシア帝国軍人「セルゲイ・モシン」と、ベルギーの銃器メーカーである「エミール・ナガン」「レオン・ナガン」兄弟の3人によって行われました。

時代の経過と共にモデルチェンジが行われておりますが、開発初期のモデルは「モシン・ナガンM1891」と言われ、第一次世界大戦中にはロシア国内での生産が追いつかず、アメリカにまで製造を発注し、約380万挺が納入されたと言われています。

また、1930年には改良されたモシン・ナガンの決定版である「M1891/30モデル」が登場し、第二次世界大戦時の主力として活躍しました。

出典:モシン・ナガン|Wikipedia
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%83%B3

Colt M1911

コルト・ファイヤーアームズ社によって製造され、1911年にアメリア軍に正式採用された自動挙銃です。

当時のアメリカ軍による「一撃で相手を無力化できるハンドガンが欲しい」という要求に応えるかたちで開発されたのが、コルト社によるM1911でした。

1911年の採用から長きにわたってアメリカ軍の制式挙銃として使用されており、第一次世界大戦だけでなく、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争でも活躍しました。

現在でもアメリカでは警察用・民生用として需要があり、特にシューティング競技で人気を博しています。

出典:M1911|Wikipedia
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/M1911

マキシム機関銃

1884年に、アメリカの発明家「ハイラム・マキシム」によって開発された全自動式機関銃で、開発以後の戦争に大きな変革をもたらしたと言われています。

以前より使用されていた手回し式のガトリングガンと比較して、全自動かつ軽量、さらに発射速度も約2倍であったマキシム機関銃は、兵士の負担を軽減するとともに戦場での戦い方を一変させることになりました。

それまでの戦争で使用されてきた騎馬隊はマキシム機関銃の餌食となってしまう可能性が高いことから、戦場で用いられることがなくなりました。

また、マキシム機関銃による銃撃を両軍が恐れた結果、各地で塹壕戦が起こり、戦争が長期化することにも繋がった要因となる武器でもあります。

出典:マキシム機関銃とは|Weblio辞書
参照:https://www.weblio.jp/content/%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%A0%E6%A9%9F%E9%96%A2%E9%8A%83

Gew98

ドイツのモーゼル社によってつくられ、1898年ドイツ軍に制式採用されたボルトアクション方式の小銃です。1935年までドイツ軍の制式小銃として採用されており、第一次世界大戦の際はドイツ軍歩兵の主力小銃でした。

ボルトアクション方式とは、銃のボルト(遊底)部分を手動で操作することにより弾薬の装填・排出を行う方式のことで、19世紀末期よりこの方式の小銃は軍の歩兵主力兵器として使用されていました。

日本のアニメやゲーム内でもGew98をモデルとした銃が登場する作品があるので、武器に詳しくない人でも一度は目にしたことがあるでしょう。

出典:Gew98|Wikipedia
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/Gew98

スプリングフィールドM1903

アメリカ合衆国で開発されたライフルで、先に紹介したGew98と同様にボルトアクション式のライフルです。

1898年にアメリカとスペインの間で起こった米西戦争の際に使用されていた、クラッグ・ヨルゲンセン・ライフルを改良するかたちで開発されました。

実際に第一次世界大戦・第二次世界大戦ともに使用され、1942年初期頃まで第一線で運用されていたと言われています。

1917年にアメリカが第一次世界大戦に参戦した時点で約85万丁が既に出荷され、さらに多数の造兵廠で製造されたM1903が終戦までに計115万丁が投入されたと言われています。

出典:スプリングフィールドM1903小銃|Wikipedia
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89M1903%E5%B0%8F%E9%8A%83

第一次世界大戦に採用されなかった変わった武器

ここまで、第一次世界大戦で実際に使われていた武器を紹介しました。実戦で投入された武器や兵器がある一方で、開発はしたものの採用されなかった武器も存在します。

開発されたからと言ってすぐ実戦に投入されるわけではなく、テストを行って実際に大きな兵力となると判断された場合のみ、戦場に投入されました。

当時は武器を生産する際に使用する材料も豊富ではなかったため、大量に生産したものの力を発揮できなかったということが許される状況ではありませんでした。

ここでは、開発された中でも変わった特徴をもつ武器をいくつか紹介します。

フロト・ラフリー

第一次世界大戦中、敵陣にある塹壕を突破することを目的として、各国が戦車の開発に乗り出していました。

そのような状況の中、フランスで開発がすすめられた装甲戦闘車両がロフト・ラトリーです。
1914年12月から1915年3月にかけて試験用に設計製造されています。

この車両は厚さ7mmの装甲を付け、内燃式のガソリンエンジンで前方・後方両方に移動できました。また、360度の射界をカバーするために、前と後ろに機関銃4門、さらに左右それぞれに大砲2門、機関銃6門を搭載する予定でした。もし本当に機関銃が装備されれば、当時の戦況を大きく変えることのできる戦力になったのかもしれません。

しかしながら、あまりにも計画を急いだことにより、テスト走行時には武器を乗せることが間に合わず、走行時の性能も悪かったことから不採用となってしまいました。

左右に搭載予定であった大砲と機関銃は、実物に近い絵でごまかしていたと言われており、いくら戦場とは言え兵士の目をごまかせるようなものではなかったと思われます。

また、同時期に開発進行中だった「トラクター・エスティエンヌ」と呼ばれる戦車の方が好まれたために計画は放棄され、実践で使用されることはありませんでした。

出典:フロー・ラフリー装甲ローラー|Wikipedia
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%A3%85%E7%94%B2%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC

ヘルメット銃

1910年代にアメリカ人の発明家『アルバート・ベーコン・プラット』という人物によって設計された、ヘルメットの上部に銃が付いている武器です。一見すると大胆な発想によって開発された武器ですが、真面目に実用化が検討されていました。

銃を撃つ方法もとてもシンプルで、ヘルメットから伸びる細いチューブを口に含んで息を吹くだけで銃が打てるという仕組みです。かぶった人の目線に合うように照準器も付けられており、狙い撃ちをすることができました。

両手が空いた状態で銃を撃つことができる画期的なものでしたが、この武器には大きな欠点がありました。銃を撃ったときの衝撃がダイレクトに首に伝わってしまい、首を痛める危険性が高かったのです。

開発者であるプラットは、欠点である反動の問題を解決したと主張していました。しかしながら、実際に戦場で使用されることはありませんでした。

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第一次世界大戦にどうして日本が参戦したの?

イギリスと日英同盟を結んでいた日本は、第一次世界大戦開戦当初には中立の立場をとっていました。しかし、この大戦をきっかけに権益拡大を目指そうとする参戦論が高まり、開戦から1か月も経たない1914年8月にドイツに対して宣戦布告し、三国協商側として第一次世界大戦に参戦することになりました。

日英同盟を理由に参戦した日本でしたが、その他にも中国大陸や太平洋地域にまで勢力を拡大して、帝国主義的に領土を拡大したという思惑があったとも言われています。

当時、帝国主義を掲げていた西側諸国同様に、植民地を増やしたいと考えていたわけです。

本格的に参戦した日本軍は、アジアにおけるドイツの拠点である中国の青島と南洋諸島に軍を派遣し、山東省の西部に位置する済南までの地域を占領することに成功します。

ヨーロッパの地では塹壕戦により戦争が長期化することが予想されており、そんな中で日本にもヨーロッパへの兵士派遣の要請がありました。海軍をインド洋や地中海へ派遣され、三国協商側の勝利に貢献することになりました。

第一次世界大戦で使用された武器を知っておこう

第一次世界大戦では機関銃・毒ガス・ 戦車・飛行機などが数多く使用され、各国が勝利を目指して多くの武器を開発、戦場へ投入していきました。今回は主に使用されていた武器を一部解説しましたが、その他にもさまざまな武器が使用されていました。

その結果、第一次世界大戦による犠牲者の数は連合国側で約515万人、同盟国側では339万人。全体でみると約853万人にのぼると言われています。

また、このような悲惨な結果を招いてしまった第一次世界大戦の後でも、さらなる戦争が勃発し、次々に武器・兵器が開発されていきました。

皆さん戦争について知ろうと歴史を調べる際、武器についてまで調べることはあまりないのではないでしょうか。

しかし、武器を知ることで当時の戦争をより具体的にイメージすることができます。

本記事を読んで、戦争に使用される武器に興味を持たれた方は、ぜひ第一次世界大戦以外の戦争で使用された武器についても調べてみてください。

第一次世界大戦当時の武器と比較することで、技術の進歩を感じるだけでなく、より一層戦争の歴史・当時の戦い方について深く理解することができるでしょう。

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