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何気なく使った言葉でも、そのシーンに適さないものだったら、相手の心象を悪くしてしまいます。中でも、「気をやる」がその一つです。「気を配る」「思いやる」と同じように使ってしまいがちなこの表現は、ビジネスや冠婚葬祭の場にふさわしいものでしょうか。
本記事では、「気をやる」の意味と由来、その使い方を分かりやすく説明していきます。また、「気をやる」と似た言葉や、英語での表現方法、他にも知っておきたい様々な日本語を紹介します。
この記事を読むことで、不適切な場で「気をやる」を使うことがなくなります。また、関係する様々な言葉を知ることで、昔の女性たちの思いを偲ぶことができるでしょう。
履歴書や自己PRの文章を考えている方は、ぜひ一読をおすすめします。
「気をやる」はどのような意味の言葉?
また、「やる(遣る)」の意味の一つとして、「すっきりしない心やふさぎがちな気持ちを、何かでまぎらす」というものがあります。現代でも、ニュアンスとして通じるものがあるようです。
「気をやる」の意味とは?
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以下では、「気をやる」が使われていた時代、場所、またその人々について説明します。もともとは、特定の時代の、特定の場所だけで用いられた言葉だったのです。その意味からは、当時の人々の様々な気持ちを感じることができます。
「気をやる」は江戸時代の古語
前述したように、現代ではほとんど死語となりました。死語になるとはつまり、不要、あるいは不十分だということです。記録が残っているとはいえ、江戸時代においても、「気をやる」はあまり頻繁に使われた言葉ではない可能性があります。
遊女が特定の客を好きになるという意味もある
遊女としてやっていく上で、誰かを好きになってしまっては不都合が多かったことでしょう。例えば、もう他の男を相手にするのが嫌になったり、ついには仕事をやめてしまったり、ということがあったと想像します。
ですから、遊女たちは「容易に客には気をやるな」という風に戒められていました。また、遊郭における隠語として、性的な内緒話をする際にも用いられていたようです。
「気をやる」の使い方と英語表現
以下では、「気をやる」の使い方と、似たような言葉、また英語での表現方法を説明していきます。読者の方々も知っていたり、使っていたりする言葉があるかもしれません。
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「気をやる」の使い方
「気をやる」は、「思いやる」や「気を配る」と誤って使いがちです。もし、代わりに使ってしまったら大変です。
例えば、
・会社で働くチームは、お互いに思いやることが大切です。
→会社で働くチームは、お互いに気をやることが大切です。
・どのお客様にも気を配り、良質なサービスを心がけます。
→どのお客様にも気をやり、良質なサービスを心がけます。
と書いてしまったら、まったく異なる意味となります。
現代では、あくまで小説の中や、恋人たちの間で隠語として用いられています。
「気をやる」の類語
日本語における「気をやる」の類語としては、「果てる」「昇天する」などが挙げられます。また、スラングとして「イク」と表現する方も多いことでしょう。
「気をやる」の英語表現
英語では、climax、ecstasyという語が当てられます。口語では、もっとも一般的なのが”I’m coming!!”という表現です。日本では「行く」と考えられている絶頂が、欧米では「来る」とされています。快感が込み上げてくる感じが、より強く表現されているといえるでしょう。
「気をやる」以外の花魁言葉
ここでは、すべてを記すことはできません。しかし、当時の女性たちの気持ちを感じられるものを4つ紹介します。
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わちき
「オイラ」より上品で、「わたし」というよりくだけていて、かわいげがあります。現代でいえば、「ウチ」みたいな感覚でしょう。
ありんす
遊郭は、客が高額な金を支払って楽しむ場所です。それをもてなす側は、身なり、対応、いずれも上質なものでなければなりませんでした。話し言葉を重視するのは当然といえます。
上記の「わちき」と合わせると、「わちきは酒が好きでありんす」となります。
いさみ
遊女の酒といえば、樋口一葉「にごりえ」の主人公、お力が連想されます。彼女は自身の生涯を打ち明けるにあたって、大きな湯呑でがぶがぶと酒を飲んでから語り出します。このように、自分を励ます、勇気を出させるという気持ちが、「勇み」に現れています。
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こそぐったい
これは、古い日本語である「こそぐる」から生まれた言葉です。「こそぐる」から「こそぐったい」が生じ、それがのちに「くすぐったい」に変わりました。現代では心理的な意味合いでも使われますが、当時は、主に性的な感覚を表すものとして使われたようです。
「気をやる」は江戸時代に使われていた言葉
「思いやる」「気を配る」などと同じ意味だと考えて使ってしまうと、大変なことになります。また、遊女たちは、誰かを好きになりたくても、誰をも好きになることは許されませんでした。そんな彼女たちの心情を考えると、何だか味わい深い言葉に聞こえてきます。