「察するに余りある」の意味と使い方・類語・敬語・対義語
更新日:2024年09月01日
「察するに余りある」の意味と使い方・類語・敬語・対義語
挨拶や手紙などで「察するに余りある」という言葉を見かけることがありますが、実際の意味や使い方がいまいちわからない方もいるでしょう。今回は、この「察するに余りある」という言葉について、意味や使い方、奥の深さなどを、詳しく紹介します。
「察するに余りある」の意味と使い方は?
では、どんな状態や心境が「察するに余りある」のか、また実際に言葉や文章で使われるのはどんな場面なのか、そして場面に応じた言い回しなどを知り、「察するに余りある」という言葉を適切に使っていきましょう。
「察するに余りある」の意味
まず、「察する」とは、表面に出ていない気持ちや物事に気付いたり、その場の雰囲気や相手の表情などから、心境を推測することです。例えば、「気まずい雰囲気を察して、話をそらした。」とか、「彼女の気持ちを察して、彼と二人きりになれるように席を立った。」などです。
そして、「余りある」とは、し尽くせない、とか、どれだけやってもやり尽くせない、という意味です。例えば、「あの時の失敗は、いくら悔やんでも余りある。」とか、「最優秀賞をいただけるなんて、余りある光栄です。」などです。「察するに余りある」とは、相手の気持ちや状態が計り知れなかったり、想像を超えている、という意味で使います。
似ているけど微妙に違う言葉
ここでひとつ、似ているけど違う言葉に注目してみましょう。「余りある」と「あり余る」の違いです。
「あり余る」という言葉もありますが、これは「余りある」とは少し意味が違ってきますので、注意が必要です。「あり余る」とは、「必要以上にたくさんある」「持て余している」という意味です。例えば、「暇が続いて体力があり余る」とか、「あり余る才能の持ち主」などです。
「あり余る」とは、たくさんある、という意味。「余りある」とは、どれだけあってもまだ足りない、という意味。とても似ていますが、違った意味合いになりますので気をつけて使い分けましょう。
「察するに余りある」実際の使い方
実際には、「心中察するに余りあります」のように、相手を気遣ったり励ましたりする際に使われることが多い言葉ですが、必ずしも悲しい場面でしか使えない、というわけではありません。驚いている様子や、喜んでいる様子など、楽しい場面でも使うことができます。
例えば、「ご両親の心労は察するに余りある」「彼女の苦労は察するに余りある」など、苦しい場面で使うことも多々ありますが、「優勝した喜びは察するに余りある」「ゴールした時の達成感は察するに余りある」など、嬉しい場面でも使うことができます。
このように、嬉しい、悲しい、などの内容に関係なく、心境を推し量る際の言葉として全般的に使うことができます。
「察するに余りある」を敬語にすると?
敬語は使い方を間違えると、恥をかいたり失礼にあたる場合もあるので、ここでしっかり確認しておきましょう。ポイントをおさえておけば、心配することはありません。
細かいニュアンスに注意しよう
まず、「察する」を丁寧語で表すと、「お察し申し上げます」となります。この時に、「察する」に対して「お」を付ける場合は、自分ではなく相手の心境や状態に対して発言していることになります。
「相手に対して」という部分に注目しましょう。例えば、「○○さんの心中をお察し申し上げます。」というように、相手が主役になるよう言葉を添えて使うと良いでしょう。
自分に対して敬語は使わない
自分が相手の状態を想像して、「これはとても耐えられないことだ」という意味で使う場合は、「お察しする」とは言いません。自分に対して敬語は使いませんので、この場合は、「察するに余りあるものがございます」と言いましょう。
「誰が」「誰に対して」を明確に
初回公開日:2017年11月25日
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