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小説の「猿の手」のあらすじ・願い事一覧・作者|最後の願い

更新日:2024年07月30日

インドのお土産としてもらった「猿の手」は3つの願い事を叶えてくれます。そのようなお話を聞いたことはあるでしょう。古典恐怖小説として名高い「猿の手」です。この完成度の高い恐怖小説は後にいろんな作品に影響を与えました。今回は「猿の手」について紹介しましょう。

「猿の手」を老夫婦に渡した軍人は、これには呪い(まじない)がかけられていると言います。「猿の手」にかけられた呪いとは、インドの年を取った行者が「定められた宿命を変えるようなこと」すると痛い目に遭うということを教えるためのものだと言います。よって、「猿の手」に願いを叶えてもらうということは、不幸になる可能性があるということです。

軍人が「猿の手」を使って3つすべての願いを叶えています。しかし、その時の様子は顔色が悪く、願いを叶えたことを後悔している様子です。

「猿の手」が叶えた願い事

軍人がどんな願いを叶えたのかはわかりませんが、彼の前の「猿の手」の持ち主は、1番目と2番目はわかりませんが、最後の願いは持ち主自身の死でした。そして、軍人の手に渡り、老夫婦の元に回ってきました。

老夫婦の願いは「家のローンの残り」という、ある意味堅実な願い事です。しかし、夫は最初、何を願おうか見当が付きません。なぜなら、もうほしいものは何だってそろっている気がするからです。これから、ローンの返済も順調だったということを示唆しています。

そして、200ポンドの代わりに息子が死に、2番目の願いは息子を生き返らせることでした。しかし、夫はそれを望まず、最後の願いによって平穏な生活が戻ります。

小説の「猿の手」での最後の願い

老夫婦が「猿の手」に願った最後の願いは、死んだ息子を生き返らせることでした。願った日の夜、妻は「息子らしき」存在の訪問を家に入れようとします。しかし、夫はそれを望まず、「猿の手」に最後の願いをして平穏な生活を取り戻します。

原作の中では「猿の手」が叶えた最後の願いが具体的に書かれてはいません。「夫がそっとささやいた」とだけ書かれています。その最後の願いによって、息子がいるという幸せはなくなりましたが、平穏な生活が戻ってきます。

そこで疑問に思うのは、夫はなぜ息子らしき存在の訪問を家に入れず、最後の願いを「猿の手」に叶えてもらったのかということです。

夫は息子の最後を見ている

「猿の手」に叶えてもらった最初の願いは、家のローンの残りである200ポンドを手に入れることでした。それは息子が勤め先で事故死することと引き換えに、200ポンドを手に入れます。

息子の死に方はとても悲惨なもので、機械に挟まれて死にました。それは服でやっと息子だとわかるとほどひどい状態だった言います。夫だけがその無残な息子の死体を見ており、そして、2番目の願いを叶えた日は息子が埋葬されてから10日もたったころです。

夫は息子の最後の姿と埋葬から10日もたった息子の姿を想像してしまい、玄関のドアを開けることに恐怖を感じ妻がかんぬきを開ける寸前に、最後の3番目の願いを「猿の手」にお願いします。

最後の願いとは

さて、ここで疑問に思うのが、夫が「猿の手」に叶えて貰った願い事です。原作には「猿の手に必死になって、最後で三番目の願いをささやいた」としか書いてありません。具体的な願い事は書かれてはいません。しかし、最後の願いによって、完全な元の生活とは言えませんが平穏は手に入れます。

小説の「猿の手」の出版社

「猿の手」の原作は「The Monkey's Paw」という、英国の小説です。最初に発表されたのは「遊覧船の貴婦人(The Lady of the Barge)」という、短編小説集に初めて発表されました。

日本では「猿の手」はアンソロジー作品の始まりと言われ、1969年に東京創元社から出版された「怪奇小説傑作集」の第1巻に収録されたのが初めてだと言われています。新装版も出版されています。

小説の「猿の手」の作者

「猿の手」の作者は英国出身のW・W・ジェイコブズ(William Wymark Jacobs)です。彼はロンドン東部のワッピング出身で、郵便局貯金局の職員でした。作家としては遅咲きとされていますが、1896年に出版した短編集でとなりました。

日本では怪奇小説の「猿の手」が有名です。しかし、彼の作品のほとんどが海をモチーフにしたユーモラスな作品です。日本で「猿の手」以外で有名なものとして「徴税所」がありますが、原作は中学、高校の英語力でも読めるものが多いので、気になる方はチェックしてみてください。

小説の「猿の手」のなかの教訓

老夫婦に「猿の手」を話した軍人は、この「猿の手」には教訓があると話しています。その教訓とは「定められた運命を捻じ曲げようとすると痛い目に合う」と言うことです。しかし、この一家はささやかで慎ましく幸せな生活を送っていました。そして、家のローンの残りという、ささやかな願い事によって痛い目をみます。

ささやかな願い事を叶えてもらうために、息子と言う代償を支払うのは少々高い気がします。要するに老夫婦の定められた運命とは、ささやかな幸せだということでしょう。それを、楽してお金を手に入れると言うことが運命を捻じ曲げることとなります。

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初回公開日:2018年04月02日

記載されている内容は2018年04月02日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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