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「備えあれば嬉しいな」の意味と使い方・元ネタ|泣く子は目立つ

更新日:2024年11月02日

「備えあれば嬉しいな」という言葉を聞いたことはありませんか。備えあれば憂いなしということわざに似ていますが、ちょっとだけ違っています。「備えあれば嬉しいな」とはなんなのか、今回はそんな疑問を解決できるよう、ことわざパロディについて紹介していきます。

泣く子は目立つ

「泣く子は目立つ」とは、「泣く子は育つ」のことわざパロディです。大声で泣く子供はうるさくたって元気で食欲も旺盛だから丈夫に育つ、というのが元々のことわざの意味になります。

「泣く子は目立つ」という言葉は「備えあれば嬉しいな」と同様、その場面を思い浮かべると理解がしやすいでしょう。たくさんの人間がいる中で大声で泣いている子がいればどうなるでしょうか。「泣く子は目立つ」、周囲の視線が子供に集まることが目に見えます。

「備えあれば嬉しいな」は元々のことわざから意味はほとんど変わっていませんでしたが、「泣く子は目立つ」ではまったく別の意味になっています。ですが似通った語感はそのままに、伝えたい場面をイメージさせる愉快なもじりかたは共通しています。このわかりやすさと面白さはことわざパロディならではです。

花より現金

「花より現金」とは、「花より団子」のことわざパロディです。花を見る風流よりも団子を食す実利を取る、というものが元々のことわざの意味です。団子が現金に変わっていますが、言葉の意味するものも同じく変化しています。ですがどちらも、花より実利を得られるものには違いありません。

「備えあれば嬉しいな」と違って、「現金」という具体的な例を挙げることでより生々しくなって、共感と苦笑を誘っています。どことなく時代を感じさせる「団子」という表現から、「現金」という現代的なたとえに移っていることは、このパロディが後の時代に生まれたものであることを示唆しているのでしょう。

蛙の子はおたまじゃくし

「蛙の子はおたまじゃくし」とは、「蛙の子は蛙」のことわざパロディです。子供の能力は親に似てくる、というものが元々のことわざの意味になります。ですが、このパロディではまたまったく別の意味合いになっています。

蛙の子は蛙ではなく、おたまじゃくしです。それは間違いないのですが、ことわざというものはそもそも当たり前のことを言うものではありません。それなのにあえて間違いを指摘しているところが笑いを誘います。「備えあれば嬉しいな」のように音を重視したものではありませんが、前半部分はいじらず、後半だけをもじって面白く変えていることがポイントでしょう。

石橋を叩いて壊す

「石橋を叩いて壊す」とは、「石橋を叩いて渡る」のことわざパロディです。元々は石の橋が崩れないか確かめて渡るという行動から、用心深く物事を行うことのたとえです。このパロディは本来の意味から完全に反転した意味に変わっています。

安全に渡れるかどうか確かめるために石橋を叩いたら、壊してしまった。用心深くなりすぎるとかえって失敗してしまう、そんな内容になっています。「石橋を叩いて割る」の他にも「石橋を叩いて崩す」、「叩いて割る」というようなことわざパロディもありますが、言っていることはすべて同じです。

音で聞く分だとそう変化はないのに、実際は真逆の意味に変わっている。同じことわざパロディでも、まるで意味が変わらない「備えあれば嬉しいな」とは正反対だと言えるでしょう。

犬も歩けば猫も歩く

「犬も歩けば猫も歩く」とは、「犬も歩けば棒に当たる」のことわざパロディです。元々は思いがけない災難、もしくは幸運にめぐり合うことをたとえた言葉ですが、パロディ後にはそんな意味は残っていません。リズムの良い音の感じはそのままに、犬が歩いた後を猫が歩いていく、可愛らしく楽しげな雰囲気の言葉に生まれ変わりました。

「備えあれば嬉しいな」に関してもそうですが、ことわざパロディには楽しげな雰囲気を感じさせるものが多いです。パロディを考えついた方も、楽しい気分で作ったのでしょう。

鷹がとんびを産む

「鷹がとんびを産む」とは、「とんびが鷹を産む」のことわざパロディです。本来の「とんびが鷹を産む」は姿や大きさが似ている二種類の鳥を用いたことわざです。とんびを平凡な鳥、鷹を優れた鳥としてたとえたこの言葉は、転じて平凡な親から優れた子供が産まれるという意味を持ちます。

とんびと鷹、二種類の鳥の名を入れ替えたこのパロディでは意味も同じく逆転しており、優れた親から平凡な子が産まれるということを皮肉るような言葉になっています。同じ並び替えでも意味はそのままだった「備えあれば嬉しいな」とは違っており、何もかもが反転しています。

善は急がば回れ

「善は急がば回れ」は、これまでに挙げたことわざパロディとは異なり、二つのことわざが合わさって成り立っています。元になったことわざは「善は急げ」と「急がば回れ」になります。

「善は急げ」は良いと思ったことは躊躇せず、ただちに実行せよという意味です。もう一つの「急がば回れ」は多少の手間や回り道は一見遠回りに見えるけど、最終的にはかえって早く進むことができるということを諭しています。

「善は急がば回れ」はこの「急ぐ」というワードが共通する二つのことわざを一まとめにしたものになります。ことわざパロディには「備えあれば嬉しいな」「鷹がとんびを産む」のような単純なアナグラム以外にも、こうした成り立ちのものもあります。

渡る世間は鬼ばかり

「渡る世間は鬼ばかり」とは、「渡る世間に鬼はなし」をもじったことわざパロディであり、テレビドラマシリーズのタイトルにも用いられています。世の中には無慈悲な人ばかりではなく情の深い人だっている、そんな励まされるような意味が元々のことわざにはあります。ですが、たった数文字を変えるだけで意味が正反対になってしまうのがことわざパロディの恐ろしいところです。

「渡る世間は鬼ばかり」、暗雲立ち込めるようなタイトルは視聴者の興味を煽るのにはもってこいでしょう。明るく、どこか楽観的な雰囲気のある「備えあれば嬉しいな」とはまた違った、世知辛い内容のことわざパロディです。

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初回公開日:2018年04月16日

記載されている内容は2018年04月16日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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