「逆さ磔」とは?意味や読み方・いつから始まりいつまで行われていた
更新日:2024年09月19日
「時代劇や歴史の特集番組などで逆さ磔という刑罰をたまに見るが、どのくらい苦しい刑罰なの?」
「昔は残虐な刑罰が日本でもよく行われていたらしいが、日本でも逆さ磔などの刑罰が行われていたのだろう?」
歴史関連のテレビ番組を視聴したり、歴史関連の本を読んでいると、上記のような疑問を持つのではないでしょうか。
この記事には逆さ磔とはどのような刑罰なのか、そもそも磔とはどのようなものなのかを解説しています。
この記事を読めば、逆さ磔について理解を深めることができ、歴史などの知識を増やすことが可能になります。
より番組を楽しむために、時代劇などを見る前にこの記事を一度よく読み、歴史の知識を増やしておきましょう。
そもそも「磔」の意味とは
そもそも磔とは昔の刑罰の一つで、罪人を板や柱などに縛りつけて槍などを用いて殺す、公開処刑のことです。
国や地方によっては、受刑者を裸体にしたり、手足を広げるようにして板などに縛り付けることもありました。
また、処刑を終えた受刑者の遺体はすぐに土葬をしたり火葬をしたりせず、暫くの間さらし者にして放置することもよくありました。いずれにしても、非常に屈辱的な刑罰になります。
ギリシア・ローマの磔刑(たっけい)
ギリシアやローマにおいての磔刑とは、奴隷や国家の裏切り者に対して行う、非常に屈辱的な刑罰です。
はじめは奴隷に対して行う刑罰でしたが、次第に下層の人民や属領の人民にも行われるようになりました。
受刑者は裸体にされたうえで顔を布で覆われ、手足を板や柱に釘で打ち込まれて固定されることもあるなど、殺害されるまでに屈辱だけでなく多くの苦痛が与えられました。
十字架に釘で磔にされたキリスト
磔刑で有名なエピソードの一つに、十字架に手足を釘で打ち込まれ、磔にされたキリストのエピソードがあります。
これはキリストがユダヤ教体制を批判したために、ローマ帝国の反逆者として捕らえられたことが原因です。
その後磔刑は、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が廃止するまで、罪人に対して行われていました。キリストが十字架に磔となって処刑されたことは新約聖書に書かれています。
「逆さ磔」は身体を逆さまにして磔にする処刑
逆さ磔とは罪人の頭を逆にして磔にする刑罰のことで、磔刑よりも更に残酷な刑罰で、日本でも過去に行われていました。
言うまでもなく磔刑に輪をかけて苦痛に満ちており、屈辱的な刑罰でした。磔刑と同じく多くの場合、国家やその領主の裏切り者に対して行われており、当時における極刑です。
現代においても時代劇や特撮映像、漫画などでこの刑罰が言及されたり、描写されることがあります。
「逆さ磔」の読み方は「さかさはりつけ」
逆さ磔の読み方はさかさはりつけとなることが多いですが、さかばっつけやさかばりつけ、さかさばっつけなどと読むこともあります。
多聞院日記では逆さ磔のことをさかばっつけ、太閤記ではさかばりつけと読んでいる記載があります。
浄瑠璃の国性爺後日合戦が作成された辺りの時代から、逆さ磔のことをさかさはりつけと読むようになりました。現代ではさかさはりつけと読むのがより一般的です。
日本で「逆さ磔」はいつ始まった?
日本における逆さ磔は、少なくとも戦国時代、織田信長が健在だったころには行われていました。
武士や武将は勿論ですが、国家や領主の裏切り者であれば、女性まで逆さ磔で処刑されたという記録があります。時代が進むにつれて、キリシタンにも行われています。
裏切りへの抑止力となるために、逆さ磔は公開処刑として行われ、受刑者が苦しみ死んでいく様を大衆に見せつけていました。
初回公開日:2022年12月01日
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