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バブル崩壊の時期・バブルはいつからいつまでか・バブル時の株価

更新日:2023年12月08日

バブルの時期をご存知ない方も多いのではないでしょうか。この記事ではバブルの時期の為替や株価、マンション価格の変動などを紹介しています。バブル時期にどれほど熱狂し、狂喜乱舞していたのかお分かりいただけるでしょう。ぜひ読んでみてください。

「バブル」という魔力

「バブル」という言葉を、読者のみなさん、ご存知でしょうか。「バブル」と言うと、やはり「バブル経済」や「バブル景気」のことを指すことが多いです。

40歳後半から年上の方には「(バブルの時期は)すごい時代だったなぁ」と感慨ひとしお、それよりも若い、特に30歳代以下の読者の方にとっては、話には聞いていても経験したことがないので実感がわかない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

昨年からブレイクしたお笑い芸人の「平野ノラ」さんがバブルネタをしていますが、これは面白おかしく表現しているので、バブル時期の狂ったお祭りのような騒ぎを伝えているわけではありません。

では、実際にバブルが発生し、バブルに国民の大半が踊らされていた時期にはどのようなことが起こったのでしょうか。

衝撃的だった「バブル」

バブル絶頂の時期には多くの方が「財テク」に興味を持ち、実際に実行していたと言われています。株式市場や不動産のことをほとんど知らずとも、業者さんに言われるままに契約してしまう方も多かったのではないでしょうか。

しかしながら、バブルの時期は、そのような素人でも儲かりました。右肩上がりのバブル経済の最中ですので、何をやってもお金がついてくる(増えてくる)という時期でした。例えば、ある株式を購入して、一晩寝たら数万円、数十万円の含み益になったり、それを利益確定し、夜な夜な豪勢な食事会などをしていた方も多かったでしょう。

また、マンション投資をして、1か月後には売却し、たった1カ月で数千万円という利益を手にする方もいたと言われます。

こうした「財テク」ブームが日本中で起こり、マスコミもバブルに乗ったOLや主婦などを、このバブル時期に放送していました。

バブルの時期はいつからいつまでか

1985年9月、日本にとっては歴史的な好景気「バブル景気」が始まるきっかけとなった出来事がありました。「プラザ合意」です。

それまでは、日本経済が成長し、アメリカに大量の商品が輸出されていました。アメリカの企業や安くて品質の良い日本製品に太刀打ちできない状態に陥ります。このため、日本製品が大量にアメリカ国内に入ってこないように「ドル高是正」すなわち「円高」へと誘導しました。

すると、日本製品は外国での売れ行きが悪くなり、不況に陥ります。そこで日本銀行がとった策は金利の引き下げでした。金利が下がったことでお金を借りやすくなった企業は本業以外で資産を増やすという方向に向かいます。いわゆる「財テク」です。

こうして始まったバブルの時期も最後の絶頂期を迎えます。一般に、その時期は1989年12月29日、株式市場で日経平均株価が38,915円という歴史的高値をつけた時とされています。

バブルの時期の為替

バブル景気の入口の時期である「プラザ合意」前にはおよそ1ドル=240円でしたが、この「プラザ合意」が行われた後の数日で急速に円高が進みます。特に合意の翌日は印象的で、わずか1日で1ドル=215円、20円以上も円高に振れました。この後もますます円高が進んで行きます。

「プラザ合意」から2年経過した1987年には1ドル=150円を割るほどにまで円高が進みました。その後、一時は落ち着きを見せたものの、更なる円高基調に突入します。

バブル時期の後の数年間、1990年~1995年にかけて円高ドル安のトレンドに入り、1995年4月には、当時の歴史的最高値である1ドル=79円75銭をマークしました。

バブルの時期のマンションの価格

読者皆さんは「億ション」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。バブル時期に出現しました。今となっては異常としか考えられないのですが、1ルームで1億円超といった価格がつけられるものが出現するようになりました。

先ほど紹介した財テクブームの中、投資先の1つとしてマンションにが集まりました。バブル時期は居住のために購入するという本来の目的ではなく、資産運用のために購入していたというのが特徴です。

バブル時期の走り口である1985年には首都圏の新築マンションの平均価格は4,000万円~5,000万円といった価格でしたが、バブルの絶頂時期1990年になると新築マンション平均価格は1億円を超えてしまいました。

異常なマンション価格になったのはなぜ?

バブルの時期には右肩上がりで土地の価格が上昇しました。もちろん、マンションもしかりです。右肩上がりの状態が続くと、マンションの買い手となる顧客は「今買っておけば、後にはもっと高い値段で売れる」と考えます。こうした心理的な要因も手伝って、マンションの価格はますます上昇して行きました。

バブル時期を通して、このような「マネー・ゲーム」の1つの方法として「マンション投資」が過熱しました。そして、とうとう「億ション」と言われるような、1ルームで1億円を超えるものまで出現しました。

すると、もはやマンション価格が高すぎて都心や首都圏ではマンションや土地を購入できないと考えた人々が目を向けたのは郊外でした。

都心・首都圏から郊外へ

バブルの時期には、都心や首都圏ではもはや尋常でないマンション価格になってしまい、土地やマンションを購入するのは厳しかったり、不可能な状態になりました。ですから、マンションや土地を購入しようとする方は、郊外に目を向けるようになります。

マンション自体は、ディベロッパーが郊外でのマンション開発のメリットを見いだせなかったのか、戸数は伸びませんでした。しかし、マンションではなく一戸建ての需要、すなわち居住するための需要はあり、郊外に一戸建てを購入した方もいらっしゃいました。

その結果、都心にあるオフィスで仕事をするため、移動に往復6時間をかけて行き来するというサラリーマンも出現しました。

バブルの時期が、いかに異常であったか、こういったエピソードでお分かりいただけるでしょう。

バブルの時期の株価

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初回公開日:2018年02月13日

記載されている内容は2018年02月13日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

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