一休さんにまつわるとんち話の紹介|屏風のとら/水あめ
更新日:2024年08月01日
一休さんがお勤めしている京都のお寺はたいへん大きなお寺でした。その敷地の一角に竹やぶがあり、大きなたけのこがよくとれました。
その竹やぶの隣はお屋敷になっていて、少しむずかしそうな顔をしたお侍さんが住んでいました。
ある日、一休さんがお寺の庭そうじをしていると、隣のお屋敷に住んでいるお侍さんが一休さんに声をかけてきました。
お侍さんは手にたけのこの皮が入ったざるを持ちながら、一休さんに言いました。
「こいつがわたしにあいさつもなく屋敷の庭に勝手に生えてきよった。勝手に庭に生えるとは礼儀も知らない無礼千万な奴なので、わたしが刀で切ってやった。」
「わたしが切った無礼者はていねいにとむらってやる。無礼者が着ていたものはその方の寺に返してやろう。」
続き
一休さんはお侍さんがお屋敷の庭に生えてきたたけのこをひとり占めして、いらないたけのこの皮だけを持ってきたことに気付きましたが、その場ではお侍さんからざるに入ったたけのこの皮をうけとりお寺に持ち帰りました。
少し時間をおいてから一休さんは隣のお屋敷のお侍さんに会いに行きました。お侍さんがちょうどたけのこをゆで上げるところでした。一休さんがお侍さんに言いました。
「たけのこのみであっても、あの世に行くためにはお経をあげてねんごろにとむらってやらないといけません。このたけのこのみを持ち帰りわたしの寺でお経をあげましょう。」
一休さんのとんちにお侍さんはゆがいたたけのこを差し出すしかありませんでした。
なぜ一休さんにとんちが多いのか
とんちとは、その場その場に応じてすぐにでてくる智恵などをさしますが、今回とりあげた「屏風のとら」「この橋わたるべからず」「みずあめ」「たけのこのおとむらい」など一休さんのとんち話のなかでも、一休さんはいろいろこまった場面でとんちを効かしその場を切り抜けます。
一休さんのとんち話を集めた「一休咄」(江戸元禄年間刊行)でも、一休さんが物語に出てくる相手とする問答でとんちを効かし相手にぐうの音も言わせない様子が江戸庶民の間でを博し、一休さんのを絶大なものとしました。
一休さんはなぜ慕われるのか
一休さんが生きた室町時代は、世の中がたいへん乱れた時代でした。一休さんの人生の遍歴を見てみると、この乱れた時代に一人の宗教者としていかに生きていくべきか悩んださまがよく分かります。
一休さんの真実を見つめる求道の精神が人々の心を打ち、いつの時代にも親しまれ尊敬されてきました。
庶民の一休さんに対するその敬愛の念がとんちの「一休さん」という形で伝説化されていったのかも知れません。
初回公開日:2018年02月14日
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