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「無辜」の意味と使い方・類語・読み方・用例|無辜の怪物

更新日:2024年05月03日

「無辜」の意味をご存知ですか。無辜の怪物・無辜の民・無辜の祈りなど、さまざまなところで用いられてはいますが、一般的に知られた言葉ではありません、「無辜」の意味・使い方・類語や言い換えになる言葉などをご紹介していますので、参考にしてください。

「無罪(むざい)」の意味は、2つあります。1つは「罪が無いこと」で、この意味は「無辜」が持つ意味と全く同じことを表しています。もう1つの意味は「刑事裁判において、被告人の行為が罪にならない、または犯罪が証明されないこと」また「その判決」です。つまり、「無罪」は法的に使われる言葉になります。

「無罪判決」や「無罪放免」、「無罪を勝ち取った」などの形で用いられます。法的な場で使う語として、対義語になるのは「有罪」です。「無辜」と「無罪」の違いは上記にある通り、「法的な場での使用可否」にあります。

どちらも日常会話やビジネスシーンでの会話の中で使用できる言葉ですが、「法的な場」において「罪が無い(罪が証明されない)」ことを表す時には、「無辜」ではなく「無罪」を使います。

無実

「無実(むじつ)」の意味は、3つあります。1つ目は「事実が無いこと」あるいは「実質が無いこと」で、「嘘・虚実」などと同義です。2つ目は「罪を犯していないのに罪があるとされる」の意味で、これは「冤罪(えんざい)」とも言われます。3つ目は「誠実さが無いこと」で、「軽薄」と言ったところです。

1つ目の意味と3つ目の意味は「真が無い」という点でよく似ていますが、「無辜」が持つ「罪が無い」の意味とは全く違います。「無辜」の類語になるのは、3つ目の意味「罪を犯していないのに罪が有るとされる」です。

単に「罪が無い」ことを意味する「無辜」よりも、「無いのに有る」とされている「無実」の意味の方が「罪を押し付けられている感」が強くあります。「無辜」は、誰かから咎められている・いないに関わらず「罪が無い」ことを表す時に使い、「無実」は誰かから咎められている場合に「罪が無い」ことを主張する時に使います。

潔白

「潔白(けっぱく)」の意味は、2つあります。1つは「心や行いが綺麗なこと(後ろ暗いところが無いこと)」で、もう1つの意味は「清潔で汚れのないこと」あるいは「真っ白なこと」です。「無辜」の類語となるのは、前者の意味「心や行いが綺麗なこと(後ろ暗いところが無いこと)」です。

「身の潔白を証明する」や「私は潔白だ」などの文で使用されるように、「後ろ暗いところ」=「罪」として、それが「無い」ことを表す時に使います。「心や行いが綺麗なこと」は、言い換えれば「心や行いに罪が無いこと」です。そのことから、「潔白」は「無辜」の類語に挙げられます。

「無辜」の用例をご紹介!

「無辜」は一般的に見聞きすることが少ないと言える言葉のために、使い方がよく分からないこともあるでしょう。実際に使う時の形は、用例および例文を見ることでイメージしやすくなります。それでは、用例および例文を通して、「罪が無い・罪が無い者」を意味する「無辜」の使い方をご紹介していきます。

無辜の怪物

「無辜の怪物」が表すことは、「罪の無い怪物」です。「怪物」は「怪しい物」と書きますが、イメージとしては「人ではないもの」の総称になります。英語ではモンスターと言いますが、それは「神が人類に凶兆を知らせるために創ったもの」だと言われています。

しかしながら、全ての怪物が人に害を加えるわけではありません。日本を含めた世界各国に存在する神話や言い伝えには数多くの怪物が登場しますが、その中には「人ではない怪物だが、人を助けたり、平和的な性格をしているもの」も存在します。そんな善ある怪物こそが、「無辜の怪物」です。

Fate/EXTRAやGOというゲームでは、無辜の怪物という名のスキルが登場します。このスキルは、「能力・姿が変貌する」特徴を持ちます。生前の行いから生まれたイメージにより、過去や在り方を捻じ曲げられた怪物の名前のことだそうです。取り外し不可なので、取り扱いには注意を要します。

無辜の民

「無辜の民」が表すことは、「罪の無い民」です。「民(たみ)」は「社会や国政を構成する一般的の人々」のことであり、一つの国に住んでいるのであれば、それは民になります。

現在における日本では、民を脅かすような大きな動きは起こっていませんが、国によっては「無辜の民」がひどく脅かされる社会を改善しようとしていない現実があったり、民全体に助けが及ばないこともあります。その場合、罪が有る無いに関わらず、民たちは罪のある人によって生活や命が脅かされるリスクが高くあります。

北海道の石狩市弁天町にある石狩浜には、「石狩 無辜の民」というブロンズ像があります。本郷新さんによる作品の1つで、1970年制作の「無辜の民連作15作品」の1つとされる「虜われた人」が原型だと言われています。上半身は布で巻かれており、片手と両足を辛うじて突き出して横たわった人物の造形で、その姿は何かを訴えるかのように見えます。

無辜の人々

「無辜の人々」という形が表していることは、「罪の無い人々」です。「人々」は「複数の人」を表しているため、何人かの無辜の人を総じて指す場合に使います。「無辜の人々が抗議している」や「無辜の人々が巻き込まれた痛ましい事件」などの使い方があり、場合によっては「無辜の民」と表していることが同じになります。

無辜の祈り

「無辜の祈り」という形が表していることは、「罪の無い者の祈り」です。「祈り」とは「神仏に加護や救済を願う」ことですので、「無辜の祈り」=「罪の無い者が、罪の疑いが晴れることを神に求めている」様子になります。つまり、その無辜(罪の無い者)が置かれているのは、罪を問われている状況です。

また、「罪が無いのに困窮している者の祈り」の意味でも使えます。この場合は、「誰かから罪を問われているわけではなく、罪が無いのに生活環境・経済・人としての扱われ方に苦難がある者」ということです。このような人に対して「無辜の祈り」を使う際は、「無辜の祈り」=「罪の無い者が、苦難や困窮が改善するように神仏に祈っている」様子になります。

吹奏楽、コンクールなどで用いられる楽曲アルバムの1つに「無辜の祈り」があります。樽屋雅徳さんが東日本大震災の影響を受けて制作したもので、演奏人数目安35人の中編成の楽曲になります。

「無辜」は使える時に使ってみよう!

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初回公開日:2018年03月15日

記載されている内容は2018年03月15日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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