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耽美派文学の有名な作家一覧・特徴・小説・雑誌

更新日:2024年07月20日

美学を追求する耽美派文学は、美至上主義を貫く崇高な精神を語る小説です。オスカー・ワイルドを代表格とする耽美派文学は、日本の有名な純文学作家も多く輩出しました。今回は、誰もが一度は触れたことのある、耽美派文学についてご紹介していきます。

耽美派の有名な作家一覧!

耽美派文学はイギリスの詩人で作家、劇作家でもあるオスカー・ワイルドに始まります。子供向けの短編小説「幸福な王子」や戯曲「サロメ」が特に有名です。芸術至上主義でキリスト教的価値観に重きを置かないその作風は、当時ブームになりました。悪魔主義とも称されるその作風は、形を変えて日本にも伝わりました。

日本では?

耽美派文学の作家はオスカー・ワイルド、シャルル・ボードレール、マゾッホ、マルキ・ド・サド、マシュー・アーノルド、エドガー・アラン・ポーなど世界中にいます。日本にも、谷崎潤一郎、三島由紀夫、永井荷風、江戸川乱歩や夢野久作、泉鏡花、木下杢太郎など、多数の耽美派文学の巨匠が存在していました。

永井荷風は?

永井荷風の父は留学経験のあるエリートで、内務省に勤務していました。母は儒学者の娘でした。高校在学中に水滸伝や八犬伝などの伝奇小説を読み耽り、小説家を目指しました。一橋大学を中退した永井荷風は、歌舞伎座の座付作者として創作活動を始めました。作品は森鴎外に絶賛され、江戸文学の研究のために落語家に弟子入りしていました。

西洋に触れる!

24歳のときにアメリカとフランスへ渡り、西洋の文化に触れ、帰国後「あめりか物語」「ふらんす物語」などを発表。夏目漱石からの依頼で朝日新聞に「冷笑」を連載、新進作家として数々の作品を発表していきました。森鴎外の推薦で慶應義塾の主任教授になり、仏語について講義しました。木下杢太郎らのパンの会に参加して谷崎潤一郎を見い出します。

西園寺公望らの後援で先輩文学社とも交流しました。作家としての成功とは裏腹に、私生活では花町の人間との交流が続き、結婚生活の破綻など、波瀾万丈の人生を送りました。劇作家としても有名です。

江戸の美学!

西洋文化が入り始めた明治時代、江戸の情緒を残す東京で、恋愛や風俗、素晴らしい風景描写で著した永井荷風は、日本の耽美派文学のさきがけとなる「冷笑」「すみだがわ」などの美しい文体の作品を数多く残した、我が国を代表する文豪のひとりです。

三島由紀夫は?

三島由紀夫は日本を代表する小説家です。「潮騒」「仮面の告白」「金閣寺」や最後の長編小説「豊穣の海」など、美しい文体と構成は、耽美派文学の最高峰の呼び声高い名作揃いです。私生活も耽美派を貫きとおし、死の瞬間まで美にこだわりました。

華族の母と役人の父の元に生まれた三島由紀夫は神経質に育てられ、子供時代は病弱でしたが徐々に健康になり、大学へ進学して学生小説家として頭角を現しました。役人となり、文豪たちとの交流を深め大成していきました。

金閣寺は?

耽美派の最高峰、三島由紀夫文学の美の極致を描いた「金閣寺」は、その名のとおり美学の金字塔を打ち立てた名作です。実際にあった金閣寺放火事件を題材に、三島由紀夫が独自の解釈で犯人となった若い見習い僧の心理に耽美派としての観点から迫ります。

主人公の青年は金閣寺という、当時も今も日本でいちばん美しい木造建築に心酔する若い修行僧です。金閣寺への憧れはやがて、残酷な現実を目の当たりにして、捻じれた野望へと変貌を遂げます。自らの劣とう感からくる美への崇高な想いが金閣寺に対する異常な執着となり、放火という残酷な終末地点へ向かいます。

最高美のまま消滅させるという、耽美派文学最高峰の作品です。

オスカー・ワイルドは?

アイルランド出身のオスカー・ワイルドは、詩人であり作家、劇作家でもあります。耽美的で退廃的、懐疑主義的な19世紀末の西洋文学の代表格とされる有名人です。同性との淫行問題でスキャンダラスな人生を送った人物でもあります。医師の父と文才のある母の家庭に生まれ、幼少期から文才を発揮した天才でした。

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初回公開日:2018年04月16日

記載されている内容は2018年04月16日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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