第一次世界大戦で使用された武器とは?銃器の種類や不採用だったものも解説
更新日:2024年11月21日
モシン・ナガン
1891年、帝政ロシアで開発された小銃であり、1950年代まで第一線で使用されていました。
第一次世界大戦でも主力小銃として使われており、現代では猟銃や競技用として使用されています。
モシン・ナガンの開発は、ロシア帝国軍人「セルゲイ・モシン」と、ベルギーの銃器メーカーである「エミール・ナガン」「レオン・ナガン」兄弟の3人によって行われました。
時代の経過と共にモデルチェンジが行われておりますが、開発初期のモデルは「モシン・ナガンM1891」と言われ、第一次世界大戦中にはロシア国内での生産が追いつかず、アメリカにまで製造を発注し、約380万挺が納入されたと言われています。
また、1930年には改良されたモシン・ナガンの決定版である「M1891/30モデル」が登場し、第二次世界大戦時の主力として活躍しました。
出典:モシン・ナガン|Wikipedia
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%83%B3
Colt M1911
コルト・ファイヤーアームズ社によって製造され、1911年にアメリア軍に正式採用された自動挙銃です。
当時のアメリカ軍による「一撃で相手を無力化できるハンドガンが欲しい」という要求に応えるかたちで開発されたのが、コルト社によるM1911でした。
1911年の採用から長きにわたってアメリカ軍の制式挙銃として使用されており、第一次世界大戦だけでなく、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争でも活躍しました。
現在でもアメリカでは警察用・民生用として需要があり、特にシューティング競技で人気を博しています。
出典:M1911|Wikipedia
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/M1911
マキシム機関銃
1884年に、アメリカの発明家「ハイラム・マキシム」によって開発された全自動式機関銃で、開発以後の戦争に大きな変革をもたらしたと言われています。
以前より使用されていた手回し式のガトリングガンと比較して、全自動かつ軽量、さらに発射速度も約2倍であったマキシム機関銃は、兵士の負担を軽減するとともに戦場での戦い方を一変させることになりました。
それまでの戦争で使用されてきた騎馬隊はマキシム機関銃の餌食となってしまう可能性が高いことから、戦場で用いられることがなくなりました。
また、マキシム機関銃による銃撃を両軍が恐れた結果、各地で塹壕戦が起こり、戦争が長期化することにも繋がった要因となる武器でもあります。
出典:マキシム機関銃とは|Weblio辞書
参照:https://www.weblio.jp/content/%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%A0%E6%A9%9F%E9%96%A2%E9%8A%83
Gew98
ドイツのモーゼル社によってつくられ、1898年ドイツ軍に制式採用されたボルトアクション方式の小銃です。1935年までドイツ軍の制式小銃として採用されており、第一次世界大戦の際はドイツ軍歩兵の主力小銃でした。
ボルトアクション方式とは、銃のボルト(遊底)部分を手動で操作することにより弾薬の装填・排出を行う方式のことで、19世紀末期よりこの方式の小銃は軍の歩兵主力兵器として使用されていました。
日本のアニメやゲーム内でもGew98をモデルとした銃が登場する作品があるので、武器に詳しくない人でも一度は目にしたことがあるでしょう。
出典:Gew98|Wikipedia
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/Gew98
スプリングフィールドM1903
アメリカ合衆国で開発されたライフルで、先に紹介したGew98と同様にボルトアクション式のライフルです。
1898年にアメリカとスペインの間で起こった米西戦争の際に使用されていた、クラッグ・ヨルゲンセン・ライフルを改良するかたちで開発されました。
実際に第一次世界大戦・第二次世界大戦ともに使用され、1942年初期頃まで第一線で運用されていたと言われています。
1917年にアメリカが第一次世界大戦に参戦した時点で約85万丁が既に出荷され、さらに多数の造兵廠で製造されたM1903が終戦までに計115万丁が投入されたと言われています。
出典:スプリングフィールドM1903小銃|Wikipedia
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89M1903%E5%B0%8F%E9%8A%83
第一次世界大戦に採用されなかった変わった武器
ここまで、第一次世界大戦で実際に使われていた武器を紹介しました。実戦で投入された武器や兵器がある一方で、開発はしたものの採用されなかった武器も存在します。
開発されたからと言ってすぐ実戦に投入されるわけではなく、テストを行って実際に大きな兵力となると判断された場合のみ、戦場に投入されました。
当時は武器を生産する際に使用する材料も豊富ではなかったため、大量に生産したものの力を発揮できなかったということが許される状況ではありませんでした。
ここでは、開発された中でも変わった特徴をもつ武器をいくつか紹介します。
フロト・ラフリー
第一次世界大戦中、敵陣にある塹壕を突破することを目的として、各国が戦車の開発に乗り出していました。
そのような状況の中、フランスで開発がすすめられた装甲戦闘車両がロフト・ラトリーです。
1914年12月から1915年3月にかけて試験用に設計製造されています。
この車両は厚さ7mmの装甲を付け、内燃式のガソリンエンジンで前方・後方両方に移動できました。また、360度の射界をカバーするために、前と後ろに機関銃4門、さらに左右それぞれに大砲2門、機関銃6門を搭載する予定でした。もし本当に機関銃が装備されれば、当時の戦況を大きく変えることのできる戦力になったのかもしれません。
しかしながら、あまりにも計画を急いだことにより、テスト走行時には武器を乗せることが間に合わず、走行時の性能も悪かったことから不採用となってしまいました。
左右に搭載予定であった大砲と機関銃は、実物に近い絵でごまかしていたと言われており、いくら戦場とは言え兵士の目をごまかせるようなものではなかったと思われます。
また、同時期に開発進行中だった「トラクター・エスティエンヌ」と呼ばれる戦車の方が好まれたために計画は放棄され、実践で使用されることはありませんでした。
出典:フロー・ラフリー装甲ローラー|Wikipedia
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%A3%85%E7%94%B2%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC
ヘルメット銃
1910年代にアメリカ人の発明家『アルバート・ベーコン・プラット』という人物によって設計された、ヘルメットの上部に銃が付いている武器です。一見すると大胆な発想によって開発された武器ですが、真面目に実用化が検討されていました。
銃を撃つ方法もとてもシンプルで、ヘルメットから伸びる細いチューブを口に含んで息を吹くだけで銃が打てるという仕組みです。かぶった人の目線に合うように照準器も付けられており、狙い撃ちをすることができました。
両手が空いた状態で銃を撃つことができる画期的なものでしたが、この武器には大きな欠点がありました。銃を撃ったときの衝撃がダイレクトに首に伝わってしまい、首を痛める危険性が高かったのです。
開発者であるプラットは、欠点である反動の問題を解決したと主張していました。しかしながら、実際に戦場で使用されることはありませんでした。
初回公開日:2022年09月22日
記載されている内容は2022年09月22日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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