「私は貝になりたい」のタイトルの意味
「私は貝になりたい」は日本の記念碑的なドラマから
「私は貝になりたい」というフレーズを聞いたことがある方は多いでしょう。1958年に現在のTBSであるラジオ東京テレビにおいて、フランキー堺主演のテレビドラマとして製作されました。「ドラマのTBS」とその後言われる礎を築いた作品として記憶されています。
その後、1994年には所ジョージ主演のテレビドラマとしてリメイクされたり、最近では映画「私は貝になりたい」が中居正広(元SMAP)主演で公開されています。
「私は貝になりたい」の意味とは?
結論的にいえば、「私は貝になりたい」の意味は、もし生まれ変わったならば、人間ではなく「貝」になりたいという意味です。なぜ「貝」なのかと言えば、動物では人間に虐待されるためということと、感情を持ってしまうと家族の心配などをしなければならないためという意味がこめられています。
結論は、このような意味となります。これは「私は貝になりたい」の主人公の遺言として残した言葉です。どのような背景、心情があり、このような言葉を残したのでしょうか。それには「私は貝になりたい」のストーリーと結末の意味を知っておく必要があるでしょう。
「私は貝になりたい」の結末の意味
清水は家族に宛てて遺言を書きます。
「せめて生まれ代わることができるのなら、人間なんて厭だ。しかし、牛や馬ならまた人間にひどい目にあわされる。どうしても生まれ代わらなければならないのなら、私は貝になりたい。なぜなら、深い海の底の岩にへばりついている貝は、何の心配もない。兵隊にとられることもない。」
といった内容です。実際はセリフの効果を高めるように演出されていますが、意味を要約するとこのようになります。生来、温厚であった主人公が時代に翻弄され、上官の命令で不本意な処刑に参加し、最後は理不尽な裁判で殺されるという苦しみ、悲しみの意味を表していると言われています。
やはり一度は見てみよう!
作品の受け取り方は人によって異なります。このため、実際にドラマや映画を見るのが一番です。レビューを見ていると、「やはりフランキー堺が一番」「所ジョージにしかだせない味がある」「中居君の演技力はすごい」などがあり、それぞれ良さがあると言えるでしょう。
全て見終われば、「私は貝になりたい」が意味不明ということはおそらくないでしょう。また、演出の変遷にも注目して見るのもです。例えば中居正広版「私は貝になりたい」では、助命運動をする仲間由紀恵のシーンを挿入することで、より家族愛を強調したりと演出の違いも楽しめます。
ドラマ
ドラマ「私は貝になりたい」(フランキー堺)
フランキー堺によるドラマ版「私は貝になりたい」です。ドラマのほうが時間がある分、しっかりと描かれているという声もあります。当時、このドラマは大変な反響を呼び、視聴率も高かった作品です。
映画も買ったがこちらの方が迫力があり、フランキー堺の名演技に感動。
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ドラマ「私は貝になりたい」(所ジョージ)
所ジョージによるリメイク作品です。フランキー堺が芸人であったことから、似た雰囲気を出せる人ということで、所ジョージが選ばれたと言われます。ただし、アマゾンではVHSのものしか販売しておりません。