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【男の子/女の子】「伊織」という人名が持つ意味・名付の漢字

更新日:2024年07月19日

「伊織」という名前は男の子の名前なのか、女の子の名前なのかたびたび話題になることがあります。どちらにも使える名前ですが、男の子の名前と言われるのはなぜなのでしょうか。「伊織」という名前が持つ意味と、「伊織」という言葉が使われ始めた背景を見ていきましょう。

江戸時代、「伊織」は「東百官」の1つとして使われていました。朝廷が官職を表す言葉として使っていた「百官名」というものがあり、関東地方の武士たちがそれを真似て使ったのが「東百官」です。

「東百官」とは

名前は「諱(いみな)」と言われ、親や主君以外が呼ぶことは無礼にあたります。例えば、時代劇などで家臣が主君のことを「○○さま」と呼んでいますが、実際にはあり得ないことでした。そのため、鎌倉時代から百官名を使って呼んでいました。朝廷が役職などに合わせて、百官名を与えたと言われています。

剣豪として知られる「宮本武蔵」の「武蔵」も百官名です。現在でいう県知事のような役職についていた人は、その国の名前を名乗れました。しかし、宮本武蔵が武蔵国の政治を担当していたという話は残っていないので、勝手に名乗っていたと考えられます。

それを関東地方の武士たちがまね、百官名のように苗字の後に入れるようになり、百官名と区別するために「東百官」と呼ばれるようになりました。

しかし、正式なものではないため、当時の学者は使わないように警鐘を鳴らしましたが、東百官は武家だけでなく名門の子弟も使うようになります。

憧れから生まれた東百官

武士たちが東百官を名乗るようになった背景には、百官名に対する憧れがあったでしょう。しかし、役職を持っていない武士が、百官名を名乗ることはできません。なので、百官名に似せて東百官を作り出したと言われています。

百官名には、国の名前や役職にまつわる言葉が使われていますが、百官名を真似ている東百官には、深い意味はないものがほとんどです。「伊織」という東百官も、「織部司」にちなんでいると言われています。「織部司」は、昔の大蔵省に属する機関の1つで、高級織物の生産に携わっていました。

他にも「織居」「織之助」など、「織」という漢字を使った東百官があります。

明治時代

明治時代になり「戸籍制度」ができたのを機に、百官名や東百官はなくなりました。しかし、一部は人名として使われるようになり、今日に至ります。漢字の意味などは関係なく、江戸時代の名残として当時は使われていました。

百官名を名乗っていたのが男性であるため、百官名は男性名として使われるのが当たり前でした。なので、「伊織」も男の子の名前だと言われています。

現在は、百官名や東百官を名乗っていた偉人にちなんで、名付ける人が多いでしょう。なので、「伊織」以外にもよく耳にする名前が百官名であることがあります。レーシングドライバー「片山右京」さんの「右京」も百官名のひとつで、他にも「左京」や「隼人」などがあります。

「伊織」はとっても素敵な名前

「伊織」という名前が誕生した背景を考えると、男の子の名前だと言われるのは仕方がないと言えます。しかし、漢字の意味を考えてみるとどうでしょうか。男女関係なく、どちらにも使うことができるでしょう。

女の子に「伊織」という名前を付けると、「女の子なのにかわいそう」「意味が分かっていないのね」と言われるのこともあるでしょう。ですが、大事なのはどんな思いで名前を付けるかです。

名前は、親から子供へ贈る最初のプレゼントだと言われています。「伊織」という名前は、とても素敵な意味を持つ名前です。漢字の持つ意味の方を大事に考え、子供に名前をつけてあげましょう。

初回公開日:2018年01月29日

記載されている内容は2018年01月29日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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