韻を踏む方法4つ・韻を踏むの意味|ダジャレとヒップホップの韻
更新日:2024年07月19日
韻を踏むの意味
「韻を踏む」とは、音楽や詩・小説などで同じ単語や同じ音を持つ言葉を繰り返してリズミカルな印象を与える手法です。韻を踏むことによって文章やフレーズが聞き取りやすくなったり、印象に残りやすくなったりするという効果が期待できます。
特にラップでは韻を踏むのは基本ともいえます。この「韻を踏む」というのは意外に奥が深く、韻の踏み方にも数種類あり世界中の言語で行われています。
韻の踏むの由来
「韻を踏む」という表現は中国の古い詩から来ています。詩の中に、「絶句」というひとつの詩を四行で作る形式があります。この「絶句」には「ひとつの詩につき、ひとつか二つの韻を踏む」という規則がありました。
絶句は中国のものですので中国語の発音で韻が踏まれています。日本の貴族の間では日本語の音読みで韻を踏んで漢詩をつくりました。これを「韻を踏む」と表現したことが、この言葉の由来だという説が有力です。
「韻の踏み方」の種類 と例文
「韻の踏み方」には、「脚韻(きゃくいん)」 「頭韻(当院)」「母院(母音)」「コイン(子音)」の4種類があります。「押韻」という言葉もありますが、これは「韻を踏む」という意味です。
「桜が咲いたと達也が書いた」は「桜」と「達也」、「咲いた」と「書いた」の母音で韻が踏まれていて、これを「母韻(ぼいん)」といいます。後者は語尾の音を合わせて韻が踏まれているため、「脚韻(きゃくいん)」 にもなります。
種類1「脚韻」
同じ音で終わる言葉を語尾、文末などで繰り返すことで、音読した時に美しくリズミカルになるようにする韻の踏み方のことを「脚韻」といいます。
詩や歌、小説だけでなく、お経などでも脚韻が踏まれているものがあります。定型詩では韻の踏み方のパターンを決めて繰り返すように使い、リズミカルに印象を深めるために使います。とくに中国、インド、ヨーロッパの詩では使用頻度が高いです。
例文1「山に来た里に来た野にも来た」
有名な唱歌「春が来た」の一節で、「来た」を3回くり返して韻を踏んでいます。文末で韻を踏んでいますので「脚韻」になります。何度も繰り返すことでとてもリズミカルになり、内容もスッと入ってきて心地よいです。
この歌は全編にわたって韻が踏まれています。例文の前の節でも「春が来た、春が来た、どこに来た」と同じように3度韻を踏んでいます。「脚韻」を前提にすることで歌の魅力をつくりだしています。
例文2「おうみのねずみクルミをつまみ」
「おうみ」「ねずみ」「クルミ」「つまみ」の単語の末尾「み」で韻を踏んでいますので「脚韻」になります。この詩も「脚韻」を効果的につかうことにより軽快な印象になっています。
この文章は谷川俊太郎さんの「十ぴきのねずみ」の最初の一節で、「おうみ」は「近江」のことです。このあとも「さがみのねずみ、さしみをうのみ」と各地のねずみのことを歌い、延々とつづいていきます。脚韻のすばらしさが十分に出ている詩です。
種類2「頭韻」
言葉の最初や句頭などに同じ発音になる字をおいて韻を踏む方法です。リズムが良くなりラップなどでもよく使われます。
日本の詩歌でも昔から枕詞(まくらことば)などでつかわれ、意味よりも音の感覚が重視されていました。古来日本では脚韻よりも頭韻のほうがよく使われています。
百人一首の有名な短歌「ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづこころなく はなのちるらむ」は、「は」と「ひ」の「ハ行」で頭韻で韻を踏んでいます。
例文1「咲いた咲いた桜が咲いた」
初回公開日:2018年01月19日
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