「石を投げなさい」の意味と使われ方・由来|聖書/イエス
更新日:2024年10月31日
「石を投げなさい」から学ぶ教訓とは?
「石を投げなさい」の逸話からどんな教訓が学べるでしょうか。
人はみな罪人です。つまり、完全ではないので間違いや過ちを犯します。ですから、イエスの「石を投げなさい」の逸話には、自分も間違いを犯すので、他の人の過ちを許すようにという教訓が含まれています。
パリサイ人も、厳格に自分たちの伝統を守るように民に強要していましたが、姦淫をした女性が重大な罪を悔い改める意思があるのなら許し、清い生活を送るチャンスを与えるべきでした。
私達が過ちを犯したときには、神にも他の人にも許してもらうことを期待します。そうであれば、他の人の過ちに対しても寛容な態度、つまり許すという態度を示すように努力すべきです。相手が過ちを深く悔いているならなおさらのことです。
怒りを宿すのではなく、人を許すことは、相手と自分の精神衛生上非常に大切なことです。
「石を投げなさい」の教訓をビジネスに生かす
ビジネスは人と人とのつきあいです。損得だけでなく人の感情で成り立っています。能率や合理性や利益は大事ですが、そればかりを重視すると物事がうまく進みません。
自分の売り上げや儲け・利益だけを考えた強引なやり方は、結果として顧客を失うことになります。人間味のある対応をすれば、お互いに気持ち良く商談を進めることができるでしょう。利己的なパリサイ人のような態度は避けましょう。
また、同僚の仕事のミスを許すことも必要です。誰でも失敗はあります。完璧な人は存在しないからです。自分も仕事上のミスをしたことは多々あるのではないでしょうか。特に新人の頃、先輩や上司や顧客に迷惑をかけてしまったこともあるでしょう。そのような時、それを見逃してくれたり、かばってくれた人がいたのではないでしょうか。
「石を投げなさい」の逸話を思い出し、情状酌量の精神を示していきましょう。
「石を投げなさい」に関するジョークは?
「石を投げなさい」の逸話をねじったジョークも存在します。
一つは、「罪のない人が石を投げなさい」と言った後、罪のない人イエスだけが石を投げていたというジョークです。
もう一つは、各国の国民性に関するジョークです。「たとえ心の中ででも姦淫を犯さなかった者だけが石を投げなさい」と言ったイエスに対し、アメリカ人は心の中というプライバシーを侵害されたとして、イエスを訴えました。
ドイツ人はしばらく考えて、規則だからと石を投げました。フランス人は、心の中の姦淫という甘い罪を責めたとしてイエスに石を投げました。日本人は、みんなが投げているからと石を投げました。イタリア人は、さっそうと現れて女性を救ったとイエスに感心したが、罪が何かは分かっていなかったということです。
注意点
欧米諸国では信心深い人もいるので、やたらに「石を投げなさい」など、聖書に由来するジョークを使うのは望ましくありません。聖書に敬意を抱いている人やイエスの教えに固く従っている敬虔なクリスチャンが多くいます。
海外では宗教に関する考え方が日本人とは違う場合が多いことを覚えておきましょう。日本では仏教・神道の国ですが、実際には無宗教の人も多いでしょう。普段の生活に宗教が大きく関わっているわけではありません。
しかし海外では、信仰を非常に重視する文化もあります。日常の会話でも神・イエス・聖書といった言葉を頻繁に使います。そのような人と接する時は、敬意を示すべきです。コミュニケーションを円滑にするには、相手の宗教信条に対する敬意も必要です。
世界には多くの宗教が存在します。国際的な教養ある人として、グローバルなビジネスを展開したければ、宗教に関する理解も不可欠と言えるでしょう。
他の聖書由来の日本のことわざって?
ここまで「石を投げなさい」という言葉について紹介しました。学べる教訓がたくさんあったのではないでしょうか。
ところで皆さんは、聖書をお読みになったことがあるでしょうか。なんだか難しそうというイメージを持たれている方も多いでしょう。
しかし、実は聖書の中には、他にも日常生活や人間関係、そしてビジネスにまで活かすことのできる大切な教訓がたくさん含まれています。自分がどんな宗教観を持っているかに関わらず、聖書に関する教養を身につけておくことは、心を豊かにするのに役立つでしょう。
聖書の中には、日本人も知らず知らずのうちによく使っている言葉もあります。聖書から取られた言葉だと知って驚かれる方も多いでしょう。「石を投げなさい」だけでなく、他の記述も少し見てみましょう。
ここでは、日本人になじみのある「豚に真珠」と「目からウロコ」について紹介します。
豚に真珠
「豚に真珠」という言葉はよく知られている言葉です。豚に真珠という高価なものの価値を認める能力がないのと同じように、価値の分からない者にとっては、高価な者も無価値なものであるという意味です。
この言葉の由来は、マタイによる福音書7章6節に書かれてある「神聖なものを犬に与えてはなりません。あなた方の真珠を豚の前に投げてもなりません。彼らがそれを足で踏みつけ、向き直ってあなた方をかき裂くことのないためです」という記述です。
これは、山上の垂訓という有名な場面でイエスが語った教えの一つです。イエスの人類に希望をもたらす素晴らしい教えも、価値を認識しない人にとっては意味のないものであるという現実をイエスは知っていました。
理解できる人に、価値あるものを分かち合うべきという教訓を含んでいます。
目からウロコ
「目からウロコ」は、あるとき急に物事の意味を悟るようになったときに使います。
この言葉は、使徒9章18節にある記述に由来しています。キリスト教徒を迫害していたサウロという人物が、旅をしていると天から光があり、復活したイエスの声を聞きます。「なぜあなたは私を迫害をしているのか」と言われ、盲目にさせられます。
そして、アナニヤという人が遣わされ、サウロに手を置くと、サウロの目からうろこのような物が落ち視力を取り戻します。サウロは改宗し、パウロとして熱心に宣教するようになります。
このことから、あることをきっかけとして、理解の目が開けることを意味します。このような経験をすると疑問の答えが分かり、すっきりした気持ちになり、知識が結びついてきます。社会人として学び続けることをやめなければ、「目からウロコ」体験ができ成長できるでしょう。
「石を投げなさい」を正しく理解しグローバルな人間になろう!
「石を投げなさい」という言葉について考えましたが、いかがでしたか。どのような前後の文脈や時代背景について考えると、「石を投げなさい」という短い言葉の中にも深い意味が含まれていることが分かりました。
他の人に対して厳格すぎる要求をするのは、理不尽であることも学びました。自分も間違いや失敗をする人間であることを認める謙虚さも必要です。
この「石を投げなさい」から学んだ教訓をビジネスに生かすことができれば、人間関係を円滑にするのにも助けになります。
また、聖書や宗教に対する理解を深めておくことも、国際的な視野を入れたビジネスには欠かせないものと言えるでしょう。今回紹介した情報を生かし、グローバルな人間に成長してください。
初回公開日:2018年02月16日
記載されている内容は2018年02月16日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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