連れ合いの意味と使い方・連れ合いの呼び方・同義語|彼女/妻
更新日:2024年08月20日
ここで重要なのは、その連れ合いと婚姻関係があるのか、という点です。もし婚姻関係にある場合、連れ合いの父や母は「義父、義母」にあたります。「舅、姑」とも呼びます。婚姻関係にない場合は、このようには呼びません。
あくまで「連れ合いのお父さん、お母さん」という位置づけで「友達のお父さん、お母さん」という意味と同じです。
連れ合いを亡くしたときの立ち直り方
「連れ合いを亡くした」とは主に配偶者やパートナー(事実婚を含む)に使用される言葉です。ここでは、大事な配偶者を亡くした場合の立ち直り方をご紹介します。
連れ合いは人生の旅仲間
人生を長い旅路とするのなら、同行する者=配偶者は旅仲間と言えます。恋愛関係や愛情といった繋がりもありますが、何より「人生のパートナー」という意味で「連れ合い」を使用している人は多いです。
長年連れ添った人生のパートナーとの別れは、言葉では言い表せない辛さがあります。信頼できる協力者であり、理解者でもあったでしょう。まるでひとり取り残されたような気持ちになりますが、旅はまだ終わりません。
人にはそれぞれ目的地があり、目的地がパートナーと同一というわけではありません。別れとは、それが死に別れであったとしても、それぞれが真の目的地へ向かうために必要な別れです。できることは嘆き悲しんで旅をやめることではなく、自分の旅を続けることです。
理性的にたくさん泣くこと
悲しみを我慢する人がいます。胸の中に悲しみを閉じ込めて、我慢をして過ごすことは得策とは言えません。また、感情に飲み込まれて我を忘れることもいけません。大事なのは「理性的にたくさん泣くこと」です。理性的にたくさん泣くとは、感情の防壁が決壊しないように慎重に感情を外に出す、ということです。
泣くことによって心の整理がつき、憑き物が落ちたようにすっきりします。これは人間のシステムなので、それを利用する立ち直り方です。無理に感情を押し込めてもコントロールできません。しっかり泣いて、しっかり悲しむ過程も重要です。
時間の経過を待つ
大事な連れ合いを亡くしたとき、心にぽっかりと大きな穴が空いたような気持ちになります。しかし、焦ってその穴を埋める必要はありません。時間が経過して自然治癒するのを待つことで、心の傷が塞がることもあるからです。
ただし、悲しみに暮れてばかりもいられません。生きるということは前に進むことであり、戦うことでもあります。今できるのは、心の穴が塞がるまでの時間をどう楽しく過ごすか、考え続けることです。
頑張って立ち直ろうとはせず、無理に元気を出す必要もなく、ただ「自分が何をしたら楽しいと感じることができるのか」を追求します。楽しいことをしていると時間は経過していくので、自然に元気に立ち直ることができます。
「連れ合いです」と紹介されたら深く追求しない!
仕事やそれ以外の場面でも「連れ合いです」と紹介されることがあります。このとき「奥さんなのかな」や「結婚しているのかな」などと想像を掻き立てられるでしょうが、深く追求してはいけません。「連れ合い」と紹介するときは、それ以上追求してはいけないサインです。
婚姻関係のない事実婚の可能性や同性婚の可能性もあります。ただ、それらをオブラートに包み「一緒に行動している人です」と紹介する方法です。「連れ合い」と聞いたら、該当する可能性のある関係性は無数なので、その奥にある深い意味について思いを馳せてみましょう。
初回公開日:2018年04月23日
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