今、不祥事に揺れている大相撲ですが、若貴時代以来の4横綱時代の1翼を担っている日本人横綱稀勢の里が、中学時代の卒業文集に次のような文章を書いています。
「天才は生まれつきです。 もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます。」
大関に昇進して以来何度もその機会があったものの、横綱になるまで苦労をした稀勢の里です。中学時代に努力で天才に勝つと公言し、苦心の末天才たちと同じ地位に並んでいる現在、まさに努力に勝る天才なしを体現したという事でしょう。
ケビン・デュラント
アメリカプロバスケットリーグNBAを代表する選手で、2007年にシアトルスーパーソニックスにドラフト2位で選出され、4度の得点王を獲得し、現在はゴールデンステート・ウォリアーズに所属し2017年NBAファイナルMVPに輝いた名選手です。その彼の名言の中に次の言葉があります。
Hard work beats talent when talent doesn’t work hard.
上記の英語の直訳すると「才能があっても努力をしなければ、努力は才能を打ち負かす」という意味になります。
ドラフト2位でプロ入りした彼が、MVPに賞されたのは努力の結果に他ありません。「努力に勝る天才なし」と言えるでしょう。
偉人が残した「努力に勝る天才なし」の言葉
偉人として歴史に名を残している人物を、後世に生きる私たちは「天才」と認識しています。しかし、そんな彼らも、「努力に勝る天才なし」と語っています。偉人たちの言葉をご紹介します。
アインシュタイン
相対性理論を発表し、ノーベル賞をいくつも受賞している天才科学者として知られている彼ですが、自らの事は凡才であると言っています。
「天才とは努力する凡才のことである。」
たくさんの研究とそれに伴ういくつのの発見を論文として発表してきたアインシュタインは、天才と呼ばれることに抵抗があったのでしょう。
野口英世
日本人の医師で細菌学者でもある野口英世は、梅毒スピロヘータの発見や、黄熱病の研究で世界中から尊敬されている人物です。ノーベル賞も候補に3度上がったことがある彼も「努力に勝る天才なし」と同様の言葉を残しています。
「努力だ。勉強だ。それが天才だ。だれよりも、三倍、四倍、五倍、勉強する者、それが天才だ。」
幼少期の事故が原因で片手が不自由でありながら、医師になるためほぼ独学で学問を修めて渡米し、数々の研究論文を発表した野口英世ならではの言葉です。
織田信長
「天下布武」を掲げ、力をもって戦国の日本を統一しようとしたものの、家臣の裏切りにあい道半ばで死んだ有名な戦国武将、織田信長も「努力に勝る天才なし」を説いた言葉を残しています。
「生まれながらに才能のある者は、それを頼んで鍛錬を怠る、自惚れる。しかし、生まれつきの才能がない者は、何とか技術を身につけようと日々努力する。心構えがまるで違う。これが大事だ。」
これまで紹介してきた著名人、偉人の誰もが努力を続けることが生まれつきの才能が備わっていることよりも大事なことだと考えていることがお解りなったことでしょう。
「努力に勝る天才なし」は嘘?
「努力に勝る天才なし」を検索エンジンで検索すると「努力に勝る天才なしは嘘だ」というタイトルの記事がいくつか出てきます。「努力に勝る天才なし」が嘘だという根拠は次の2つです。
・「天才」とは生まれつき実力がある人なのだから、凡人で努力した人ではやはり実力の差があるので天才にはかなわない
・「天才」は同じ努力でもすぐに理解し結果が出せるので、努力する時間をかけなければ天才のレベルに追いつけない凡人は不利
凡才は不利だから嘘なのか?
確かに「天才」と呼ばれる人と努力家では、努力家の方が結果を出すのに時間がかかるでしょう。ですが、「努力に勝る天才なし」とは結果はいつか必ず出るものでその過程が大事だという意味と解釈できます。早い遅いは、やはり能力の差ですから致し方ありません。
「天才」は要領の良い人を指すのだという意見もあります。一つの事に秀でた人は他の分野においても何でもそつなくできるからです。しかし、それは頭の回転が速く要領が良いという事だけであるともいえます。
何でも要領よくやれてしまう分、強く興味を引くものがなければ「こんなもので良いだろうと」努力もさしてせずに終わらせてしまう可能性が高いです。そういった、生まれつき備わった高い能力の上にあぐらをかいてしまっている人物に、目標を定めて努力する人物が結果的に秀でるのは当然と言えます。
「天才」と称賛される「努力の天才」