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2018年07月13日

「人事を尽くして天命を待つ」の意味と使い方・由来・漢文・類語

ことわざの中には人によって解釈が異なるので、意味がなかなか通じ合えないものも存在します。このように解釈でもめるのが「人事を尽くして天命を待つ」です。今回はこの「人事を尽くして天命を待つ」ということわざにスポットを当てて、意味や類義語や対義語を調べます。

「人事を尽くして天命を待つ」の意味と使い方・例文

「人事を尽くして天命を待つ」の意味と使い方・由来・漢文・類語
ことわざの中でもニュアンス的にかっこいいということで人気のある「人事を尽くして天命を待つ」ですが、意味を正しく理解して使わないと馬鹿を見ることも多いので、しっかりと正しい使い方ができるようになりましょう。例文と合わせてご紹介いたします。解釈を間違えるとお互いの認識がかなり異なってしまう言葉なので注意してください。

意味について

この「人事を尽くして天命を待つ」の意味は、「自分たち人間がやれることは全部やった上で、後は天運に任せる」というもので、あらゆる努力をした結果、悟ったかのような気持ちを表していることわざとなっています。

そのときの自分自身がやれることを全部やりきったことで、不平不満を言わないでさっぱりした気持ちで過ごしたいというときに使う言葉とも言えます。もともと、「人事」とは人間の力でできる事柄のことで、「天命」は点が人に与える運命そのものなので、直訳するとそのまんまな意味になっています。

実際の使い方について

使い方もわかりやすくお教えします。「受験勉強はずっとやってきたのだから、あとは人事を尽くして天命を待つしかない」とか「今までの練習は決して無駄ではなかったのだから、あとは人事を尽くして天命を待つだけだろう」となります。

つまり、自分たちまたは自分自身が納得できるレベルの最大限の努力をしてきたということを認めながらも、試合や試験は運の要素に任せるしかないということなので、まずは自分たちの努力ありきとなっていると言うことです。

「人事を尽くして天命を待つ」の由来

「人事を尽くして天命を待つ」の意味と使い方・由来・漢文・類語
この「人事を尽くして天命を待つ」にはもちろん由来となるものが存在しているので、そちらにフォーカスを当てましょう。

原文などはあるのか

「人事を尽くして天命を待つ」のことわざが乗っている原文は南宋初期の中国にいた儒学者の一人である胡寅(こいん)が残した「読史管見」です。この本の中に「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が記載されています。

「人事を尽くして天命を待つ」の漢文

「人事を尽くして天命を待つ」の意味と使い方・由来・漢文・類語
つまり、原文は中国の本なので、日本語で読む場合には漢文という扱いになると言うことです。その漢文について触れていきましょう。

返り点など

「人事を尽くして天命を待つ」の漢文は「盡人事待天命」です。返り点などをつけた場合、「盡」の後ろに二がついて、「人事」の後ろに一をつけ、「待」の後ろに二がついて、「天命」の後ろに一がつくという書き方になります。規則正しく並んでいるので覚えやすいです。

「人事を尽くして天命を待つ」の読み方

「人事を尽くして天命を待つ」の意味と使い方・由来・漢文・類語
「人事を尽くして天命を待つ」の読み方は「ジンジヲツクシテテンメイヲマツ」です。特に難しいところは無いですが、しいて言うなら「天明」を「てんみょう」と読んでしまう可能性があるくらいでしょう。

「人事を尽くして天命を待つ」の類語

「人事を尽くして天命を待つ」の意味と使い方・由来・漢文・類語
力の限りを尽くしたから後は結果を運任せにするという意味を持つ「人事を尽くして天命を待つ」という言葉に似ていることわざはあるのでしょうか。

完全な同義語はないが類語はある

完全な同義語はありませんが、類語ならあります。たとえば「我が事畢わる」という言葉は自分が関われることはすべて終わったという意味で自分自身ができる努力をし尽くしたときに当てはまる言葉と言えます。

他には「天は自ら助くる者を助く」という言葉がありますが、これは自分を助けるために最大限の努力をしている人を神様はしっかりと助けてくれるという意味で、「人事を尽くして天命を待つ」に近いものがあります。この二つが類語でしょう。

「果報は寝て待て」との違いについて

「人事を尽くして天命を待つ」の意味と使い方・由来・漢文・類語
ことわざには似ているけどちょっと違う言葉も大量にあります。そのちょっとした差が大きなものとなっているのが「人事を尽くして天命を待つ」と「果報は寝て待て」です。この違いを明確に答えられる人は、意味を良く理解していると言えます。

「果報は寝て待て」の意味について

「果報は寝て待て」の意味は「良い知らせ、すなわちチャンスは突発的に訪れるものなのだからそのときをじっくりと待つのが良い」となっています。要するに、望んでいるものは望んでいたところでたぐり寄せることはできないからじっくりと待って、巡ってきたときにつかむ必要があると言うことです。

果報が仏教の教えで「人の行いは巡り巡って良い方向に回る」からきている考え方なので、このような解釈になります。また、「果報は寝て待て」の「寝て待て」の部分はただ単にぐうたらに過ごしている様を表わしているわけではなく、良い知らせを入手するために努力をした後にじたばたしないで落ち着いている様子を表わしているので、勘違いしてはいけません。

何もしないでただ待っているという意味ではないと言うことを覚えておきましょう。誤った解釈をする人は寝ているだけでチャンスが舞い込んでくるとしていますが、実態は異なります。

違いについて

「人事を尽くして天命を待つ」と「果報は寝て待て」は両者とも、お互いが努力をした結果あとは運を天に任せるとするのか良い知らせを待つのかの違いとなっています。双方とも努力をしている状態で後は結果を待つというスタイルなのですが、「人事を尽くして天命を待つ」のほうは何らかの明確な試練があってその結果も近いうちに判明するものが多いです。

しかし「果報は寝て待て」の方は努力をしたけれど、その努力の結果手に入るチャンスはいつ来るかわからないからじっくりと待っているというスタンスなので、状況が多少異なります。類義語に近いものがありますが、こちらはあくまでいつ巡ってくるかわからない好機を探っているので、「人事を尽くして天命を待つ」のような結果待ちとは状況が多少異なります。

わかりにくい方に状況を用意して説明

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がぴったりと当てはまるのは、大学の試験や甲子園の予選があるという段階で必死に努力をし続けた方々です。必死に努力をしても不合格になることもありますし、負けることもありますので、まさに「人事を尽くして天命を待つ」状態といえます。

「果報は寝て待て」の状態というのは気長に待つ状態です。具体的には「自社の○○という製品は自信作なのだが日本国内ではいまいち売れない、海外では似たような商品がブームになっているのでそのムーブメントが押し寄せてくるまで待つ」という考え方が近いでしょう。

いつかは必ずくると予感しているのですが、それがいつなのかがはっきりしていない時に使う言葉が「果報は寝て待て」です。流行り廃りというのは突然訪れるものなので、その流れを100%読むことはできませんが、ある程度の経験や海外事情から察することはできますので、ここで出てくる言葉になります。

「人事を尽くして天命を待つ」の敬語

「人事を尽くして天命を待つ」の意味と使い方・由来・漢文・類語
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉はことわざの一種なので、この言葉を変化させて敬語にすることはほとんどできません。丁寧な表現をするならば、「私たちは十分努力をしました。後は人事を尽くして天命を待ちましょう」といったニュアンスになります。

「人事を尽くして天命を待つ」の対義語

「人事を尽くして天命を待つ」の意味と使い方・由来・漢文・類語
「人事を尽くして天命を待つ」の対義語は存在しているのでしょうか。努力をした結果、後は運に任せるという意味なので、そこから探ることになります。

「蒔かぬ種は生えぬ」や「打たねば鳴らぬ」

「人事を尽くして天命を待つ」の対義語は「努力をしなかったから良い結果にはなることはない」という意味が当てはまるでしょう。具体的には「蒔かぬ種は生えぬ」や「打たねば鳴らぬ」、そして「ものがなければ影ささず」当たりが当てはまります。

これらの言葉は総じて「原因がなければ相応の結果を得ることはできない」という意味で、結果を得るためには努力をすることが必要で得あるという教訓に近い教えです。

努力をしても後は運次第で待っているという状況と、最初から努力をしていないのだから結果は最初からわかりきっているという状況は見事に正反対と言えます。

「人事を尽くして天命を待つ」は悪い意味なのか?

「人事を尽くして天命を待つ」の意味と使い方・由来・漢文・類語
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉を座右の銘にしている人も多いのですが、逆にこの「人事を尽くして天命を待つ」そのものが悪い意味だから参考にする価値はないと切り捨てている人もおいます。彼らの主張は何なのかを探っていきましょう。

神様に駄目と言われたら終わり

「人事を尽くして天命を待つ」は頑張って努力をしても結果は神様次第という意味ですが、この言葉を悪として捉えている人たちは「頑張ったところで神様次第なんだから頑張る意味は最初から無い」という解釈をしています。

ある意味正しい解釈なのですが、その考え方だとあらゆる努力が無駄であるということのアピールに繋がってしまいますので、とんでもない意味になってしまいます。

この考え方をわかりやすく記載すると、「自分の学力では東大に受かることは100%無理とわかりきっているのだから、最初から無駄な努力をする必要は無い」という諦めの心境になってしまうでしょう。解釈の違いだけでこうまで認識に差が出るのはすごいことです。

努力をしないと第一関門も突破できない

どんな人たちだって皆努力をして過ごしていますが、あらゆる人たちの努力が報われていないことはどんな人たちでも気がついています。しかし、努力をして報われるかどうかというのは、努力をしないとそのスタートラインにすら立つことができないので運任せにすることもできません。

まさに、先ほど記載した対義語の「蒔かぬ種は生えぬ」で種をまかないと生えてくることは皆無となってしまいます。運次第のところがあるのは否定しませんが、運の要素を嫌って最初から努力をしないで運に任せられる状況にまで行かないのでは大きく異なります。

努力をしている人たちが全員報われている訳ではなく「人事を尽くして天命を待つ」のように運要素でふるい落とされていますが、達成している人たちはすべからく努力をして、最後は運要素の部分でも合格していると考えましょう。運の部分までたどり着けている人は努力をしていると言えます。

すべて運任せではない

「人事を尽くして天命を待つ」や「果報は寝て待て」という言葉はすべてを運任せにしているのではなく、その家庭で相応の努力をした結果、あとは運に任せている状態にあります。そのための努力をしていないと運に任せる所まで到達できないと考えましょう。

どれだけ努力をしても運次第でふるい落とされてしまうのは事実ですが、ふるい落とされたところでその経験は間違いなく何かに活かせますので、絶対に無駄にはなりません。「人事を尽くして天命を待つ」の言葉にある運で落ちることを嫌って何もしないでいる状態こそが一番もったいないと考えましょう。

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