ときどき「そもそも」という言葉を話者が言うとき、その話者の主観を交えて伝えられることがよくあります。
これは「一般的な人の記憶力」という生理的な側面の理由によりますが、たとえば話者が特定の物事について説明する際に「その物事の発端を間違って覚えていた場合」などには、「そもそも」の後に説明される内容はすべて「話者の主観によって説明される内容」となってしまいます。
「そもそも」による論述の歪曲
先述しました「話者の主観的な内容によって伝えられるそもそも論」に起因しますが、何らかの特定のテーマについて話されるとき、そのテーマへの根本的な理解を話者本人が間違って覚えていたとすれば、そこで話される内容はすべて「土台を履き違えた内容」となって相手に伝えられます。
その際にどんなに「そもそも」という言葉が使われたにせよ、その物事への根本的な記憶が間違っている以上は、正しい解釈・説明がなされるはずはありません。このように、話者がその物事について「間違った知識」をもっている場合も普通にあるため、いくら「そもそも」という言葉を多用されても「その内容を鵜呑みにしないこと」が大切です。
「そもそも」の多用による曲解
先述でご紹介しました「そもそも」の多用や、話者の記憶があいまいだったり間違った認識による「そもそも論」をしてしまった場合などは、必ずその点から「その特定の物事への曲解」というものが生まれてきます。
これは聞く相手としても話者の「そもそも論」を鵜呑みにしてしまったことによる責任もあり、極論すれば「話者と聞き手の2人で作り上げた曲解論」という形に落ち着いてしまいます。
「そもそも」という言葉の意味をもう一度深く理解し合って、話者と聞き手がともに「話題・テーマの土台に対する正しい理解」へ配慮することにより、この「そもそも」の多用による曲解も防ぐことができるでしょう。
「そもそも」と「ハナから」の違い
「初端(ハナ)から」という言葉の意味は、「初めから」や「物事の起こり」、また「元来は」や「おおもとは」などという「そもそも」の意味とほぼ同じ内容に認められます。ただし「ハナから」という言葉は現代語表現でありながら、ビジネス用語などの公式の場面では使われず、どちらかと言えば慣用句・俗語的なニュアンスを持ち合わせます。
「そもそも」と「ハナから」という言葉の違いは、その活用される分野・頻度の違いがまずあり、意味合いは似ているけれども「ハナから」という表現は「そもそも」ほど公式の場面において活用されない、という側面がうかがえます。
「そもそも」と「当初は」の意味
「当初は」という表現も「そもそも」とほぼ同義語として扱われます。「当初」の意味は「その物事の始まり」や「発端」、また「現在まで継続されている物事の延長した過去・始まりの点」を指し、「そもそも」の意味合いが指す「物事の起こり」や「物事の骨子・土台の部分」を指す内容と同じ扱いとして認められます。
「そもそも」と「いったい」の使い方
「いったい」という言葉の漢字表記にはまず2つあり、「一帯(いったい)」と「一体(いったい)」という、別々の意味合いを持つ言葉に分けられます。「一帯」という言葉は「地域全体」や「ある場所からある場所までの範囲」を示す意味合いがあり、「一体」という言葉は「特定の物の全体を指すこと」や「一つにつながった全体」を指して言う場合があります。
「そもそも」という言葉の意味は、この「一体」の意味合いに近づきます。よく「一体全体」という言葉が使われますが、この「一体全体」の意味は「一つないし複数の物事を全体と見て、その物事がそうして成り立っている理由は何なのか」という疑問提起を指します。
この際に見られる「一体全体」の意味として、「いま目に見えている物事・事象の成り立ちを全体的に把握する姿勢」が「そもそも」の「物事の起こり」を指す意味合いと重なります。
「そもそも」と「だいたい」の違い
「だいたい」という言葉の意味は「大まかに言えば」や「大雑把には」などという、比較的に「あいまいな点」を相手に伝える際の言葉となります。ただこの「だいたい」を漢字表記するとわかるように、「大体」という字の意味合いには「一体」の意味と似た「全体」を指す場合もあります。
しかし「そもそも」という「物事の起こり」を確実に指し示す活用は「だいたい」にはないため、「そもそも」と「だいたい」の意味合い・活用は個別のものとして認められます。
「そもそも」と「心底から」の違い