
「決定的」という言葉の意味は「物事の大半の状態が特定の方向に決まってしまって、その状態がその特定の向きにほぼ決定されること」を言い、この言葉も「そもそも」の意味合いとは大きく違ってきます。
「そもそも」の意味合いが「物事の起こり」や「発足」という過去の「ある起点」を指すのに比べて、「決定的」の意味合いは現行の時間軸(つまりリアルタイム)のいつでも起点にして、「その物事の起こり」と言うよりも「物事がこれから変わる状態の向き」を指し示すことになります。
ただ1点だけ意味合いが近いところは、「決定的」の意味合いにある「特定の物事を述べる際に言える、その物事の性質や状態のあり方が決められる点」で、この点は「そもそも」の意味合いで言われる「物事の起こり」、つまりその物事の骨子・土台を指し示す点と近くなります。
「そもそも」と「第一に」の用法
「第一に」という言葉の基本的な意味は主に順序を指し示す内容になり、「順序として第一番に」、「優先すべきことは」などと、何か特定の物事を考えるとき・するときなどに問われる論述の手順や行動の手順について言われます。
この「第一に」という言葉の用法において「そもそも」の意味合いと似ている点があり、「そもそも」の用法が示す「物事の起こり」を規定しておいてから論述し始めるという、考え方や論述方法の順序を示す場合に、両者の言葉の意味・用法は同じように認められます。
「そもそも」と重点的
「重点的に」という言葉の意味は「特定の物事を考える際に、考えや行動が集中すること」を言い、「その内容を外しては考えられないこと」や「その土台なくしてはあり得ないこと」などを言う場合、その「視点から外せないこと・欠かせない土台となること」を指して「重点的に見積もる」と言われます。
こうした「重点的」の意味合いを踏まえた上で、「重点的」と「そもそも」の意味合い・用途は非常に近くなる場合があり、「それなくしては語れないこと」や「そのテーマを語る際に外せない・欠かせない根本的な内容」を指すとき、この「重点的」の意味合いと「そもそも」の意味はほぼ同じ内容として認められます。
発端を指す「そもそも」
先述してきましたように、「そもそも」という言葉は「特定の物事の起こり・その発端」を示す表現として認められます。何か複雑な論述を試みるとき、その論の主軸のテーマからブレないことを念頭におく場合、この「そもそも」という言葉がよく使われます。
友人と話すときや、何らかの会議で長時間話すとき、また論文発表などでも複雑なテーマや昔に起きた事例を引用して論じるときなどには、この「そもそも」という表現をバランスよく使い、「自分が話すべきテーマの論旨」をブレさせない工夫が効率を上げてくれます。
「そもそも」と「のっけから」の違い
「のっけから」というのは単純に「初めから」や「その考え・行動の最初の順序」について意味し、「そもそも」の意味合いとは大きく違います。
「のっけから」という言葉の意味合いには「物事の起こり」について追究する姿勢はなく、単に「そのことがされ始めた時点の状態」をそのまま伝える表現になります。そのため、何かについて論じる際でも、「のっけからそんなことを言うんですか」などと言う場合は、ただ「相手が話した最初の言葉だけ」を指すことになり、その論旨・論理の根本を追究する姿勢はありません。
「そもそも」と「システムとして」の違い
「システム(system)」という言葉の意味は、「多岐に渡る物事を相対的に見るとき、その物事の全体を総括している働きや土台」を指しており、一般的には「組織」や「体系」という言葉で示されます。
この「システム」の意味合いを踏まえた上で「システムとしては」などと話される場合には、「システム」の意味合いに「そもそも」とよく似た用法が認められ、表現やテーマによっては同じ用法として使われることがあります。
・この会社はシステムとしては(そもそも)、そんなサービスは行なうことができません。
・パソコンはそのシステムとして(そもそも)、物体間を物理的に縮小することはできません。
・ドライヤーはそのシステムとして(そもそも)、髪の毛を乾かす道具として使われます。
・サッカーと野球はその競技のシステムとして(そもそも)、プレイヤーの動き方が違います。
そもそもの起こり・はじまり
論述するとき・複雑な物事や過去のことについて話すときなどに、よく「そもそもの起こりは」や「そもそものはじまりとして」などと、テーマでわかりにくい内容が出てきたらその1つ1つについて説明する姿勢がよく見られます。
「そもそも」という言葉の大きな用法として認められるのは、この「わかりにくいテーマの説明を伝える際に、そのテーマの根本の説明や事例を踏まえた説明をする点」にあり、その話すべきテーマの骨子をしっかり支える役割を果たす軸にもなってくれます。
特に長い話をする持ちかける際や、複雑なテーマについて論述する際には、この「そもそも」の意味合いや用法を駆使して、「いま自分が何について話しているか」、また「相手にとっても何について話されているか」、「どの順序で話せば伝わりやすいか」というわかりやすさを念頭に置くとよいでしょう。その際にも使い過ぎには注意しましょう。