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茶道の流派の一覧・違い・特徴・人口・選び方|裏千家/有名

初回公開日:2018年02月03日

更新日:2020年02月10日

記載されている内容は2018年02月03日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。

また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

8世紀末に中国から伝播した「お茶を飲む(喫茶)」慣習は、日本社会で時代の変遷を経て「茶道」という高い芸術性と精神性が融合した精神世界を現出しました。この「茶道」の各流派を総覧し、流派ごとの種類や違い、特徴など理解し、どのような流派を選ぶべきか調べます。

茶道の流派の一覧

「喫茶」の伝来と普及

「お茶を飲む(喫茶)」習慣は、8世紀に中国で広がり、中国の影響下にあった日本へも「喫茶」習慣が伝播しました。文献的には、「日本後紀」に「815年(弘仁6年)僧永忠が嵯峨天皇に茶を献じた」旨の記載が認められますが、当時、伝来した茶は団茶(蒸した茶葉を丸めて固めたもの)状で、嗜好的に日本ではあまり好まれず普及することはありませんでした。

12世紀末に、禅僧・栄西が中国より抹茶の製法や「喫茶」の作法を伝え、「喫茶養生記」を著し茶の薬効を喧伝したことなどにより、当時の武士階級や仏教社会に次第に普及し「喫茶」の習慣が定着しました。

「茶道」の黎明期

茶道の流派の一覧・違い・特徴・人口・選び方|裏千家/有名
※画像はイメージです

「喫茶」の習慣が定着化し、「闘茶(茶の味を飲み分けて勝敗を競う遊び)」などが盛んに行われましたが、室町時代中期の禅宗文化の影響が濃厚な「東山文化」期に移行するにつれ、「闘茶」の賭博性や頽廃性に対する批判が高まり「闘茶」は衰退していきました。

その後、公家や上流武士階級の間で一定の式法に基づく「茶会」が盛んに行われ、足利義政の茶の師匠とも言われた村田珠光が禅宗文化の影響を受けた「佗び茶(わびちゃ)」とのちに呼ばれる閑寂な茶道を創始しました。

村田珠光に始まる「茶道」は、村田珠光に学んだ武野紹鴎(たけのじょうおう:3畳、2畳半の茶室を考案)へと引き継がれ、その佗び茶の茶道は武野紹鴎の門弟であった千利休により集大成されました。

「茶道」の流派

「茶道」の流派は、「茶道」の歴史的変遷を踏まえていくつかの流派に分かれ、それぞれの茶道の流派がその流派の技量を伝承してきました。各々の流儀として、茶会の作法、点前の技法などに他流派と異なる特色を持っています。

茶道の流派は、利休以来400年を超える由緒ある流派から時代の流れのなかで衰退・衰亡した流派まで多岐にわたりますが、千家流以外の代表的な茶道の流派は次のとおりです。

堺流(流派の祖:武野紹鴎)、東山流(流派の祖:能阿弥)、藪内流(流派の祖:藪内剣仲)、織部流(流派の祖:古田織部)、有楽流(流派の祖:織田有楽)、遠州流(流派の祖:小堀遠州)

千家流の茶道の流派

「千家流」は、千利休を始祖とする茶道の流派で、利休の孫・宗旦(千家中興の祖)が隠居するに際し三流派に分立し現在に至っています。

表千家

「表千家」は、利休の直系にあたる家柄で、宗旦の三男・江岑(こうしん)宗左を始祖とし、利休が京都・大徳寺門前に建てた茶室「不審庵」が直系子孫に代々受け継がれ、「不審庵」を家元の称号としています。

裏千家

「裏千家」は、宗旦の末子・仙叟(せんそう)宗室を始祖とする茶道の流派で、宗旦の隠居所「今日庵」を継いでいます。千家の三流派分立後、「今日庵」が「不審庵」の裏側にあったため、「今日庵」の庵号を持つ千家が裏千家と呼称され、「不審庵」の庵号を持つ千家が表千家と呼称されるようになりました。

武者小路千家

「武者小路千家」は、宗旦の次男・一翁宗守を始祖とする茶道の流派で、一翁宗守の作による茶室「官休庵」を庵号としています。宗守が住んでいた地名「武者小路小川東入ル」から「武者小路千家」と呼ばれています。

江戸千家

「江戸千家」は、享保年間に紀伊藩士・川上不白が京都・表千家七代如心斎の元で修行を重ねた後、江戸に帰任し創始した千家流の茶道の流派で、現在に至っています。

茶道の流派の種類と違い

千利休を始祖とする千家流の流派においても、表・裏・武者小路の三つの流派に分かれて今日に至っていますが、それぞれの流派が歴史的背景を踏まえてその組織的特徴や各々の流儀として、茶会の作法、点前の技法などに独自の特色を持っています。

表千家

利休の孫・宗旦の隠居に当たり、最初に千家の直系の家督を継いだ宗左を祖としています。利休伝来の茶室、茶庭をもとに、正統的な佗び茶の古格を伝えるとされています。

江戸時代、紀州徳川家の庇護を受け隆盛を極め、江戸中期には、紀州藩領地・伊勢松阪出身の豪商・三井家のような町人富裕層を門弟として多く受け入れ、組織の発展とともに、家元を中心に据えたピラミッド型組織を作り上げていきました。

明治維新により、紀州藩の庇護もなくなり表千家も組織の存亡の危機に立たされましたが、三井家(後の「三井財閥」)の後ろ盾も受けこの危機を乗り越えました。

裏千家

宗旦の四男・宗室を始祖とする流派で、11代目玄々斎精中の時代に「茶箱点(ちゃばこだて:点茶の一種。箱の中に入れてある茶器で茶を点てる簡便な作法)」や「立礼式(正座ではなく、椅子に座って行う茶道)」などを考案し取り入れるなど茶道の近代化に取り組みました。

近代に入って婦人や学校・団体などにいち早く茶道の普及を図り、流派別では大規模の門人を擁する流派となっています。

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