Search

検索したいワードを入力してください

2017年11月08日

日本の恥の文化の起源・共通する海外の文化|韓国/中国/西洋

日本は恥の文化と言われます。その場の空気を読んで、本音で思っていることとは違うことを敢えて発言したり行動するといった経験をされた方も多いのではないでしょうか。この記事では、日本人の行動パターンに結びつく日本の恥の文化について詳しくご紹介します。

日本の恥の文化と共通する海外の文化とは?

日本の恥の文化の起源・共通する海外の文化|韓国/中国/西洋

日本人特有の行動パターンについて、日本人は恥の文化だから、という言葉で説明されることがあります。日本文化を「恥の文化」であると分析したのは、アメリカの文化人類学者であるルース・ベネディクトで、その著書「菊と刀」(1946年出版)において記されています。

日本と同じように、海外でも恥の文化や共通する文化はあるのでしょうか。お隣の韓国、中国、そして西洋の文化について見ていきましょう。

韓国では?

韓国での恥の文化は、恨(ハン)の文化といいます。恨(ハン)というのは、日本人の恥という概念とは全く別の、しかも独特の意味を持っています。「恨」という字は「うらむ」いう意味を想像しますが、単に恨みという意味だけではありません。

恨(ハン)というのは、悲しみ、怒り、絶望、羨望、嫉妬、などの複雑な感情の入り混じった概念です。朝鮮における立場から、自身より上位の存在への憧れや、悲惨な境遇からの解放願望、上位の位置にいない事に対する無念さなどを表す感情で、これを絶望や諦めと表す人もいます。

いくら進んでも解決の見えない迷路のようで、韓国人は延々とストレスを我慢することになります。

中国では?

中国に恥の文化はあるのでしょうか。中国の文化は「恥」ではなく「メンツ」の文化です。日本に観光で訪れた中国人観光客が、日本にはゴミ一つ落ちておらず、道に唾をはく人もいないので大変驚いた、という話をよく耳にします。

中国では街にゴミが落ちていることよりも、食事の席などで割り勘にすることがメンツが立たないと考え、重要視します。道を聞かれたら知らなくても適当に答えようとします。道を知らないと答えるのはメンツが立たないからです。

周りを海に囲まれた島国日本と、中国のような大陸では、繰り返される戦争の歴史が違います。大陸だからこそ、食うか食われるかという歴史の中で培われた文化と言えます。

西洋では?

西洋の文化はどうでしょうか。日本人の文化が「恥の文化」であると著したルース・ベネディクトは、西洋の文化を「罪の文化」と規定しました。

キリスト教文明の西洋では、行動の規範には常にキリスト教の戒律があります。その戒律を破ると強い罪悪感を覚えます。その心には常に神がいると考えられているからです。それをルース・ベネディクトは、「罪の文化」と呼びました。

西洋の文化は、行動する上で常に意識するのは神の声です。

日本の恥の文化の起源とは?

日本の恥の文化の起源はあるのでしょうか。

西洋が「罪の文化」といわれ、神の教えに背かないよう自己の良心に基づいて行動するのに対して、日本の「恥の文化」は自己の良心というよりも、他者が基準となり行動する点で相違があります。

他者が行動の基準になるという考え方は、中国の儒教の影響を受けています。中国の儒教は、礼儀、形や対面を重視しており、日本もこの儒教に倣って「体面」や「面子」を大事にしました。

日本のように周りを海に囲まれた島国ではこの儒教の影響を受け、やがて「恥の文化」に繋がっていった可能性があります。

神道は?

日本の文化は神道を基軸として発展してきました。さまざまな文化を取り込みながら、時代とともに変遷してきたという意味で、神道も「恥の文化」の起源と考えられます。ただし、直接的な起源というよりは、遠因としての起源になります。

日本の宗教であるにもかかわらず神道には確定した教祖がおらず、古事記などに記された古典群が神道の聖典とされ、森羅万象に神が宿ると考えられています。これらを八百万の神といい、部族や村などを守ることを目的に信仰されてきました。

神道の信仰が、文化を形づくる起源に影響を与えた可能性は否定できません。

集団主義と恥の文化の関係性は?

ルース・ベネディクトは、日本の恥の文化や集団主義の文化は、他人からどう判断されるかによって行動の可否が決ってしまう、と著書「菊と刀」の中で分析しています。著書の中では、日本の恥の文化と集団主義が同義語として記されています。

昔からある日本の集団主義と恥の文化にはどんな関係性があるのでしょうか。集団主義について詳しくご説明します。

集団主義とは?

集団主義とは、個人よりも集団に価値を置く思想またはその傾向を指す用語で、古くから日本は集団主義と言われています。集団主義は臨済宗、儒教、朱子学に由来し、日本の民族性の一つと考えられています。

集団主義と切り離せないのが日本の「ムラ」といわれるムラ社会です。島国である日本の場合、集団とは自分と関わりのある人々のことであり、「ムラ」という一つの単位です。ムラ社会の中では、他者の目を常に意識し、他者を基準に置くことで関係性を保つことができました。

これらの条件は、恥の文化と同じであり、集団主義と密接な関係があるといえます。

本音と建前と恥の文化の関係性とは?

日本人は会話をするときに、必要に応じて本音と建前を使い分けます。これも日本人の民族性を表す特徴の一つです。この「本音と建前」と「恥の文化」に関係性はあるのでしょうか。

「本音」と「建前」について、それぞれ詳しく見ていきましょう。

本音とは?

「本音」の意味は二つあります。一つは本来の音色、本当の音色、という意味。もう一つは、本心からいう言葉、という意味で、本音と建前の本音とは「本心からいう言葉」に相当し、自身に対する嘘を含みません。

通常「本音が出る」「本音を吐く」といった使い方をするように、自然に出るというより不本意ながら中から出るという意味の「出る」や「吐く」といった動詞を伴うのが特徴です。

なぜなら日本人は「本音」を素直に言葉にできない民族性があります。それはやはり、他者の目を意識し他者に基準を置いているからこそ、本音を言うことにより、ムラの和を乱すことを避ける日本の文化が根づいているからです。

建前とは?

「建前」の意味は、基本となる方針という意味と、表向きの方針という意味があります。本音と建前の建前とはこの両方の意味に相当します。

基本となる方針も表向きの方針も、どちらもふたを開けたらどうなるか分からない方針といえ、敢えてどちらともとれる言い方ともいえます。

日本社会の中で自らの本心である本音をいうと、その人に関わる人や集団の中で、期待されたり求められているものと違う場合があります。他者に基準を置く日本人は、本音がもたらす芳しくない事柄は語らない傾向にあり、例え自身が望まない事柄であろうとも、それを肯定することで結果的に自身が望む結果が得られるなら敢えて認めます。

これが建前が表向きの方針といわれる所以です。「恥の文化」が他者を基準にする行動である、という意味で「本音と建前」と「恥の文化」は関係性があるといえます。

今の日本は恥の文化?

今回は海外の文化や、日本の恥の文化についての神道、集団主義との関係性、本音と建前との関係性などさまざまな形でご紹介しました。

日本人は社会(世間)の人々の視線を感じ取る能力が鋭く、他者を基準とした行動をとります。いわゆる世間体を気にする民族だと改めて気づかされた方も多いのではないでしょうか。他者や世間が自分に対して軽蔑したり批判をしていないだろうか、ということが行動基準の一つとなっています。その外面的な世間体(プライド)が、日本の恥の文化です。

最近の日本では西欧の罪の文化の影響を受けて、他人の評価より自分の良心や価値観に照らして行動する人が増えています。日本の恥の文化、西欧の罪の文化、海外諸国の文化もあり、どの文化が正しくて間違っているということありません。日本のルーツである自国の文化について、時には考えてみるのもおすすめです。

Latests