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2017年11月27日

デカルトの生涯と思想・名言と意味・おすすめの本・数学的な功績

フランス出身のルネ・デカルト(1596年~1650年)は近代哲学の祖です。多くの哲学者に影響を与えています。「われ思う、故にわれあり」という言葉でも有名です。この記事では近代哲学の祖・デカルトの思想や生涯、本について紹介します。

デカルトの生涯や思想

デカルトの生涯と思想・名言と意味・おすすめの本・数学的な功績

デカルトはフランスの哲学者です。近代哲学の祖と呼ばれています。どんな事をしたかはあまりよくわからなくても、彼の名前は学校の授業などで一度は聞いたことがあるでしょう。この記事ではデカルトの生涯、思想や。おすすめの本について紹介します。

デカルトの人生

デカルトは1596年にフランスのラ・エーという町で生まれました。に生まれた。10歳のとき、イエズス会のラ・フレーシュ学院に入学し、論理学、形而上学、自然学、数学などを学びます。

その後、22歳でオランダに渡り軍隊に入隊したり、旅をしたりで、ドイツ、イタリアなどを転々とします。戦争に参加したり、旅に出たりで多くの学者と交流し、その過程において独自の哲学を確立していきます。同時にいくつかの著書を発表します。1650年に54歳の若さでスウェーデンのストックホルムで生涯を閉じます。

ちなみに、生誕地のラ・エーは現在では「デカルト」という町になっています。

デカルトの思想

ヨーロッパでは、デカルトが登場する以前の哲学は神学(キリスト教)がベースの「スコラ哲学」と呼ばれる哲学が主流でした。スコラ哲学は「信仰」によって真理を獲得するという考え方でした。

一方、デカルトはスコラ哲学を学んだもののスコラ哲学には否定的で、「信仰」による真理の獲得ではなく、人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする考え方を確立しました。この考え方を方法的懐疑(先入観を排除し、一旦全てのものを疑う)と言います。

この考え方が近代哲学の出発点となっており、そのため「近代哲学の父」と呼ばれるようになりました。

デカルトが残した名言と意味

デカルトの名言と言えば

デカルトは、「方法序説(ほうほうじょせつ)」という著書の中で「われ思う、故にわれあり」という言葉を残しています。ラテン語で「コギト・エルゴ・スム」と言います。この言葉を聞いたことがある人も多いでしょう。

この名言はデカルトの代名詞と言っていいほど、多くの人びとに知られており、哲学史上でもっとも有名な命題の1つと言えるでしょう。では「われ思う、故にわれあり」という名言はどのような意味なのでしょうか。デカルトは物事を考える際に、最も確かな知識を出発点にしようとしました。

彼は「全てが偽りと考えている間、自分は何者かでなければばらない、この事だけは真であるといえる絶対確実なことである」ということを発見しました。そのときの言葉が「われ思う、故にわれあり」です。考えている「自分」は「存在する」という理屈から、デカルトはこの「自分」を基準に哲学を構築しようとしました。

デカルトに関するおすすめの本・著書

方法序説

「方法序説」は1637年に発表されたデカルトの著書です。正式名称は、「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話。加えて、その試みである屈折光学、気象学、幾何学」で、元々は3つの科学論文集を収めた著書でした。

デカルト自身の方法論の発見・確立や刊行に至るまでの経緯が述べられており、自伝や、思索の順序を追ってわかりやすく書かれているため、この一冊でデカルト哲学の核心を知ることができます。

初版は、宗教裁判によって異端とされることを恐れて、偽名で発行されたと言われています。

方法序説の内容

方法序説は、「学問に関する考察」、「デカルトが探求した方法の主たる規則」、「デカルトが探求した方法の主たる規則」、「デカルトが探求した方法の主たる規則」など、6部で構成されています。先述の「われ思う、故にわれあり」は第4部に登場します。

また、当時は学問書など多くの本がラテン語で書かれるのが普通であったが、「ラテン語で執筆するよりも、母国語での執筆の方が自分の考えをより深く理解してもらえるだろう」という意図から、多くの人に読んでもらえるようフランス語で執筆されました。

省察

「省察(せいさつ)」は、1641年に発表されました。デカルトは、1637年の「方法序説」で、自説に対する反論を公募しており、第1版の公刊前に当時の著名な学者から反論をもらっておき、その反論に対する反論も記載されているため、「第1省察」、「第2省察」と続いていくのに対し、それぞれの省察に「反論」と「答弁」が記載されています。

なお、原題は「第一哲学についての省察」です。第1版は1641年、パリで、ラテン語にて出版され、第2版は1642年にアムステルダムで出版されました。

哲学原理

「哲学原理」は1644年に発表されました。「人間的認識の原理について」、「物質的事項の原理について(物理学)」、「可視的世界について(天文学)」、「地球について(地学)」全4部からなります。デカルト哲学の集大成とも言われています。

デカルトはスコラ哲学(デカルト以前に主流だったヨーロッパ中世の哲学。キリスト教に影響されている)を学んでおり、影響も受けていますが、その上でスコラ哲学を批判しています。また、万有引力の法則を発見したイギリスの物理学者・アイザック・ニュートンも「哲学原理」愛読していました。

「哲学原理」の他、オランダの哲学者・スピノザが書いた「デカルトの哲学原理」という書籍も読んでみるとよいでしょう。

デカルトの残した数学的な功績

デカルト座標、デカルト平面

デカルトは哲学者として有名ですが、数学も得意でした。平面上の点の位置を2つの実数を用いて表すという方法を考案し、「方法序説」の中で初めて「座標」という概念が用いられました。

この座標を「デカルト座標」、デカルト座標を用いた平面を「デカルト平面」と呼びます。このデカルト座標とデカルト平面は、解析学の発展に繋がっていき、座標は今日では、小学校の算数でも教えられています。

文字の使用

方程式など、アルファベットを用いた数式で未知数をx、y、zを使って表しますが、x、y、zを最初に用いたのはデカルトです。デカルトは未知数をx、y、zを、定数を表すのにa、b、cなどのアルファベットの最初の方の文字を使用し、現在ではそれが主流となっています。

数式にアルファベットを用いたのはフランスの数学者(法律家)のフランソワ・ヴィエトが最初と言われており、ヴィエトは定数を表すのに子音、未知数を表すのに母音を用いていました。

虚数

虚数とは負の数の平方根です。虚数は1572年にラファエル・ボンベリによって定義されましたが、当時は虚数は数学者達の間では「架空のもの、役に立たないもの」として重要視されていませんでした。

デカルトも虚数に対しては否定的で、著書の中で「想像上の数」と名づけ、英語の「imaginary number」の語源となりました。

デカルトとカントの違い

カントについて

イマヌエル・カントは、1724年から1804年に生きたプロイセン王国(現在のドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授でもあります。

「純粋理性批判」、「実践理性批判」、「判断力批判」の三批判書を発表し、批判哲学(ひかんてつがく)を提唱して、認識論における「コペルニクス的転回」をもたらしました。フィヒテ、シェリング、ヘーゲルに代表されるドイツ観念論哲学(ドイツ古典主義哲学)の祖とされます。カントが定めた超越論哲学の枠組みは、以後の西洋哲学全体に強い影響を及ぼしています。

カントの思想について

カントの思想は、一般的に「純粋理性批判」、「実践理性批判」、「判断力批判」の3つの批判書にちなんで「批判哲学」と呼ばれますが、カント自身はこれらの批判書を哲学と呼ばれるのを好みませんでした。カントは「批判は哲学のための準備・予備学であり、批判の上に真の形而上学としての哲学が築かれるべき」としています。

カントの思想は、「純粋理性批判」以前の前批判期、「純粋理性批判」以降の三批判書を含む著作を発表した批判期、「判断力批判」以降の後批判期の3つの時期に区分されます。

前批判期では、「正しい認識とは何か、どうすればそれを獲得することができるか」などが論じられ、批判期においては「私たちにとって道徳とは何か」などが論じられています。後批判期では、「永遠平和状態はどのように規定されるか」という永遠平和についても書かれています。

ドイツ観念論

フィヒテ、シェリング、ヘーゲルカントなどのカントより若い哲学者は、カントの理論に潜む理性の二重性と分裂(物自体と認識、あるいは神と人間理性の間における断絶)を、自らの哲学によって超え、統一をもたらそうとした動きが「ドイツ観念論」です。

ドイツ観念論は、カントの「批判の上に真の形而上学としての哲学が築かれるべき」という要求に応えようとした試みでありますが、カントはこれをあまり好意的には評価しませんでした。ドイツ観念論の側でもカントを高く評価しながら、物自体と認識を分離したことについてカントを不徹底とも評価しました。

デカルトとカントの違い

デカルトとカントは、生きた時代は異なりますが、どちらも有名な哲学者です。この二人の人物の異なる点は、主に「感覚的経験を哲学的認識の道具と認めるかどうか」、「人間に知的直観を認めるか認めないか」、「コギト(われ思う)に実在を読み込むか」、「哲学に神を導入するかどうか」という点が挙げられます。それぞれの違いについて紹介します。

感覚的経験による認識

デカルトは「経験」や「感性」というものを哲学的認識の道具と認めていなかったのに対して、カントは、おいて認識とは、受動的な能力である感性によって与えられる対象の直感を、能動的な能力である悟性が思惟することによって成り立つとしています。

人間の知的直感

「人間の知的直感」を認めるかどうかですが、デカルトは人間の知的直感について認めています。一方でカントはこれを否定しています。

コギトに実在を読み込むか

デカルトの「コギト(思惟するもの)」は「思惟する実体」と言い換えられています。「思惟するから思惟する実体が存在する」となります。

一方カントは、「私」を多くの思惟を一つにまとめている「自己意識」とは言えるが、「思惟する実体」と解釈することは、単なる概念を実在と見なすことになるので、論理的に間違っていると考えます。理由は、「思惟する精神」という概念に対応する対象が直観に与えられていないので、その概念を実体化できないからです。

カントは、こうした精神を思惟実体とする考え方を、「つまずきの石」として批判しています。カントは「直観がないところに対象の認識は成立しないので、コギトにおける私(精神)を論理的主語として思惟するものとするのはよいが、そこに実在性を読み込むことはできない」としています。

神について

デカルト以前のヨーロッパ世界において、例えば、目の前の果物や家具、空気、神様など、目に見える見えないを含め、常識的に「存在する」と考えられており、その上で学問が構築されていきました。

デカルトは「私たちを騙す悪い霊がいて、私たちにそれらのものがあると思わせているだけで実際は存在しないのではないか」と考え、「全ての存在が証明できないとしても、今あれこれ考えている自分自身は必ず存在しているはずだ」という「われ思う、故にわれあり」の思想を生み出します。

このデカルトの発見以降、それまで「神の存在」がヨーロッパの学問の中心であり常識であり、世界の存在の理由であり原因であったのですが、人間中心哲学へと移行していきます。

哲学に神を導入するかどうか

デカルトの考え方には神が存在するという前提の上で成り立ちます。一方、カントは、デカルトの考えを完全に否定はしていませんが、神の存在に関することは、理性で扱える範疇外のものであるとしています。

カントは自身の著書「純粋理性批判」において、神の存在を証明することはいかなる方法でも不可能と考えました。

ただし、神の存在は証明できないが、「道徳に従うことが善いことで、道徳に従う者には相応の幸福が与えられなければならない。人が道徳に従い、それに応じた幸福が与えられることこそが、完全な意味の最高の善であるが、その善の実現のためには、幸福を与える神の存在が要請されなければならない」と考えています。

哲学の本を読んでみよう

以上、近世哲学の祖として知られるデカルトについて紹介しました。哲学は扱う主題が、真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、行為、経験、世界、空間、時間、歴史、現象、人間一般、理性、存在、自由、因果性、世界の起源、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂、色彩など多岐にわたります。

多岐にわたる上に、抽象的な概念が多いため、すべてを理解するのは不可能に近いでしょうが、そうした書物を読んでいくことで、知識や考え方など、今後生きていく上で新しい発見が得られるでしょう。興味のある方はぜひ読んでみてください。

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